明星派から出発した石川啄木の短歌 平田オリザ『一握の砂』紹介  

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明星派から出発した石川啄木の短歌 平田オリザ『一握の砂』紹介

2020年4月18日

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石川啄木は歌集『一握の砂』に至る前は、明星派に所属していました。

平田オリザさん(劇作家・演出家)が、朝日新聞のコラム「古典百名山」に石川啄木の『一握の砂』の紹介、コラムを読みながら石川啄木の短歌のスタイルの移り変わりと、アララギ派と明星派の対立の歴史的な背景についてお伝えします。

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平田オリザさんが『一握の砂』紹介

平田オリザさんが、石川啄木について紹介したのは朝日新聞のコラム「古典百名山」です。

このコーナーはどちらかというと、外国の作家が多かったのですが、今回は、日本の代表的な歌人の一人である石川啄木が取り上げられました。

コラムの内容と、啄木の短歌の変遷についてご紹介します。

明星派とアララギ派の歌壇

第一歌集『一握の砂』について、平田さんは、次のように紹介。

『一握の砂』一編で、啄木は近代短歌の完成者として後世に名を残す。

文学史的に見れば、啄木の師でもある与謝野鉄幹・晶子夫妻を中心としたロマン主義の明星派と、正岡子規を源流とし、形式・描写を重んじるアララギ派の対立を見事に止揚した。

『一握の砂』が発表された1910年当時は、歌壇ではアララギ派と明星派が”対立”していると言われていました。

対立していたというべきなのかどうかはわかりませんが、「形式・描写を重んじる」アララギとロマン主義の明星の作風には大きな違いがあったのですが、それはどのような違いなのでしょうか。

アララギと明星の短歌の違い

歌人の故小谷稔さんは、アララギと明星の違いについて、アララギの短歌は、「幼稚な内容ではないのに言葉が平明で子供にもわかる」のに対して、空想や美を尊重する「浪漫主義」明星の短歌は難しすぎるとしています。

たとえば、明星の与謝野晶子の

夜の帳(とばり)にささめき尽きし星の今を下界の人の鬢(びん)のほつれよ

と、アララギの正岡子規の

くれなゐの二尺のびたる薔薇の芽の針やはらかに春雨の降る

を見比べてみてください。

空想や美を尊重する浪漫主義の明星派と、写実主義とも言われるアララギ派の作風には、大きな違いがあるのがわかると思います。

啄木短歌の位置

そして、このような違いを、石川啄木が「止揚した」というのが、平田さんの見方です。

この「止揚」というのは、哲学用語なので説明すると、

「より高い段階で生かすこと。矛盾する諸要素を、対立と闘争の過程を通じて発展的に統一すること」

ということで、短歌の二つの対立を統一した、石川啄木の短歌はそのような位置にあるという見方ということです。

 

明星派に所属していた石川啄木

では、石川啄木は、どちらの派に属していたのかというと、実は、石川啄木は明星派で歌を詠むところから出発しています。

その頃の啄木の歌は、

世にあれば古(いにしへ)今を貫きて恋ふらくはよし生けるしるしに

秋風は寝つつか聞かむ青に透くかなしみの珠を枕にはして

千万の蝶わが右手(めて)にあつまりぬ且つ君も来ぬ若き日の夢

というようなものでした。

いかにも明星風の歌で、与謝野晶子らの修辞法や、歌のアイテムに倣った歌を詠んでいたのですね。

『一握の砂』の啄木の短歌を読んだことのある人から見ると、ずいぶん違うものだと思われると思います。

ただ、その後生活の労苦を経た時には、上のようなスタイルは啄木からは遠いものとなっていました。

人生のための芸術へ

それまでのスタイルというものに縛られることなく、芸術のための芸術から人生のための芸術へ転向、そこでまとめ上げたのが『一握の砂』です。

たはむれに母を背負ひて そのあまり軽(かろ)きに泣きて 三歩あゆまず

ふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく

そして、

非凡なる人のごとくにふるまへる 後のさびしさは 何にかたぐえむ

実務にや役に立たざるうた人 と我を見る人に 金借りにけり

上の歌では、美やロマンとはほど遠い、現実の生活や心境もそのまま詠まれてもいます。

石川啄木の新しい作風

啄木の短歌のスタイルの転向は、明星派とアララギ派の両派の違いをまとめようという意思によるものではありません。

必然的に自分の詠みたいものを探していった後の、一つの到達点だったのだろうと思います。

本当に詠みたいもの、アララギ派ではそれを伊藤左千夫は「心の叫び」と表現しましたが、そのような心境になった時は、もはや、短歌の派やスタイルの違いなどは、啄木にはなかったでしょう。

どちらかというと、明星時代の作品の方が技巧的にすら見えます。

しかし、世に多く受け入れられたのは、そのあとの『一握の砂』における、肉声のような啄木の短歌でした。

啄木は歌人としてそのように出発、そして生きている間に刊行したのは、その『一握の砂』のみでした。

それによって石川啄木は歌壇や派といったものを越えて、人々の心に刻まれる歌を残すことになったのです。

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