己が名をほのかに呼びて涙せし十四の春にかへる術なし
石川啄木『一握の砂』の短歌代表作品にわかりやすい現代語訳をつけました。
歌の中の語や文法、句切れや表現技法と共に、歌の解釈・解説を一首ずつ記します。
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己が名をほのかに呼びて 涙せし 十四の春にかへる術なし
読み:
おのがなを ほのかによびて なみだせし じゅうしのはるに かえるすべなし
現代語訳と意味
自分の名前をふとつぶやいて涙を流したあの14歳の時の春に戻る方法はないのだ
句切れ
・句切れなし
語句と表現技法
この歌の言葉の意味と表現技法について解説します。
「涙せし」と一首の構成
「涙せし」は終止形ではなく、「し」は過去の助動詞「き」の連用形なので、「涙を流した」で終わるのではない。「涙を流した十四の春」と続くものであるところに注意したい。
一首の構成は、終止形の句切れを挟まず、全体を一気に読む構成になっている。
「ほのかに」
ほのかにの意味は、ここでは「心や意識がぼんやりしているさま。かすか。」に当たると思う。
「十四の春」
十四歳の時の春、の意味
「術」
「術」読みが「すべ」。意味は「方法」
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解説と鑑賞
石川啄木の第一歌集『一握の砂』の二章「煙」の第三首目の歌。
この章では、故郷の岩手や渋民村、またばそこでの学童期のことなどを回想した歌が並ぶ。
「十四の春」というのは、中学時代、啄木の青春期のはしりと言ってもよいだろう。他に、具体的な年齢をあげた歌には、他に有名な「不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心」がある。
上に述べたように、「涙せし」は「涙した。」とそこで切れるのではなくて、「涙を流した十四歳の春」というつながり方をする。
「ほのかに」というのは意識のぼんやりとした様であり、なぜかふと自分の名前が土を突いて出て、少年期特有の感傷的な心持から、それに涙を流したという意味になる。
ただ、しかし、この部分はむしろ、大人になった啄木が、純粋で曇りのない心を持っていただろう、若き日の自分をかえりみて涙が出るほど懐かしく思ったというように、時を現在に合わせても十分に考えられる。
ふるさとの山は、その時に住んでいるときは、ただの山であり、今自分が住んでいるところを故郷とはいわない。
「ふるさとは遠きにありて思ふものそして悲しくうたふもの」とは室生犀星の詩の通りであるだろう。
「十四の春」の「春」というのは、特定の季節や時期を指すのではなく、やはり「春」という季節の未来性や、特有の美しさが「春」を選んだ理由と思われる。
「かへる術なし」というのは、今からでも あの十四歳にかえりたいという希望が前提となっている表現で、しかし、そのようにはできないのだというのが、同時に示されるところである。
「神童」と呼ばれた石川啄木
しかし、ここで啄木が「かえりたい」といったのは、単に十四歳という時期ではないし、十四歳を懐かしんだわけでもない。
自分の中の自信と万能感がいささかも阻害されることがなかった、子どものときのその心持ちを取り戻したいというのが、啄木の望みであったろう。
神童と呼ばれてそのように育った啄木の胸には比類なき自信が宿ることになったのは、啄木の元々のパーソナリティーの属性でもあったと思われる。
多くの人は子どもの頃には万能感を持っていたとしても、大人になるある時点で、現実認識が優先され、等身大の自分を見つめられるようになるのが自然な発達の過程なのであるが、実は啄木の場合、それは大人になってからも変わることはなかった。
多くの人はこの歌を故郷や青春を懐かしむ歌と理解しているが、そういう意味では、この歌は決して「青春賛歌」のひとつではないとも言える。
他の人にとってはそうでも、ここに歌われているのはやはり啄木に特有の心であり、思いなのである。
石川啄木と自己愛
ちなみに、石川啄木の本名は「石川一(はじめ)」であるが、それにしても『一握の砂』の一章の「我を愛する歌」とのタイトルもそうだが、自分の名前に泣けるという、啄木の自己愛の強さには驚かされる。
しかし、このような自己愛が啄木を文学に導き、どうあっても自分を信じさせて、短歌への結実に至った大きな要因の一つと言えるだろう。
啄木の青春期は、その時点へかえることはできなくても、歌集『一握の砂』の中に青春と故郷を表す短歌として、永遠に残されることになったのだ。