万葉集

紫陽花の万葉集の和歌は2首 大伴家持の紫陽花の短歌

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紫陽花、あじさいを詠んだ和歌は万葉集には2首のみがあります。

朝のテレビのニュース番組、グッドモーニングで、「アジサイ」の出てくる最古の文献は奈良時代として、万葉集にも触れられました。

万葉集の紫陽花を詠んだ和歌2首をご紹介します。

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万葉集の紫陽花を詠んだ和歌2首

若葉の季節が過ぎて、梅も生り始めたものが、青葉の間に見え隠れする頃となり、そろそろ梅雨の気配が間近に迫ってきました。

梅雨と言えば、紫陽花の花が思い出されます。今日のテレビ朝日の朝のニュース番組、グッドモーニングのクイズコーナーである「お天気検定」では、「アジサイが文献に登場する最も古い時代は?」との問題が出題されました。

春の有名な和歌10首 万葉集・古今集・百人一首から大伴家持,西行,紀貫之

大伴家持『万葉集』の代表作短歌・和歌一覧『万葉秀歌』より

アジサイが登場する時代は奈良時代が最初

この答えは、「奈良時代」。その文献というのが、近年何かと話題になっている万葉集です。

紫陽花の歌は、それほど見かけないなと思ったらそれもそのはず、万葉集には紫陽花の花の出てくる歌は、2首しかないのです。

万葉集以後も同様なので、当時は紫陽花はあまり縁起のいい花ではなかったのではないかとも言われています。

万葉集の紫陽花の歌

万葉集において、紫陽花を詠んだその2首というのが、下の歌です。

言問はぬ木すら紫陽花諸弟らが練りのむらとにあざむかえけり 大伴家持 0773

紫陽花の八重咲くごとく八つ代にをいませ我が背子見つつ偲はむ 橘諸兄 4448

 

橘諸兄の歌については下の記事に解説

紫陽花の八重咲くごとく八つ代にをいませ我が背子見つつ偲はむ 橘諸兄

 

大伴家持 あじさいの歌

この記事では、大伴家持の歌を鑑賞します。

言問こととはぬ木すら紫陽花諸弟もろとらが練りのむらとにあざむかえけり

読み

「こととわぬ きすらあじさい もろとらが ねりのむらとに あざむかえけり」

作者

大伴家持 773

現代語訳

物を言わない紫陽花のような木である私でさえも、「あなたが私を恋している」という諸弟(もろと)の言葉に、うれしくなってすっかりだまされてしまったのですよ

解説と解釈

大伴坂上大嬢(おほとものさかのうへのおほをとめ)に贈った五首の相聞歌のうちの一首。

この歌には、背後にエピソードがあるらしく、「ねりのむらと」(大ぼら)の内容が、この歌だけではよくわかりません。

なので、順繰りに前後の歌を見ていきましょう。

言問わぬ木すらあじさい

「言問う」は物を言うこと。「言問わぬ木」は物を言わない木のことで、ここで、家持は紫陽花をあげているのです。

「諸弟」は使いの名

その後の「諸弟」(もろと)というのは、他にも類例がある、この時代の男子の名前だそうです。「ら」は複数ではなくて、親愛の意を表す愛称。

ここでは、その諸弟という、若い男の子が、坂上大嬢(おおおとめ)と、大伴家持の間のお使いのようなことをしていたようです。

おそらく、この歌を記した文を届けていたのも、その子なのかもしれません。

「練りのむらと」

「あざむかえけり」は「あざむかふ」で「だまされる」の意味。

「けり」は詠嘆なので「だまされてしまったなあ」ということです。

その前の「練りのむらと」の「むらと」は腎臓のこと、「練り」は一つ後の歌にも出てきますが、「悪達者で巧みであること」との意味だそうで、つまり「嘘」と取っていいでしょう。

「むらと」というのはおそらく、「諸弟」(もろと)と語調を合わせるために入れた言葉だと思います。

その諸弟が、「巧みな言葉に、だまされてしまった」その内容は前後の歌を見ると推察がつきます。

 

あじさいの歌一連5首の流れ

この一連は、770から774までの5首なのですが、770が

「人目多み逢はなくのみそ心さへ妹をわすれて我が思はなくに」

(人目が多いので逢わないだけです。心の底までもあなたのことを、忘れてしまっているわけではありませんよ)

として、会えないこと、大嬢の元へ通ってこないことを弁解しています。

おそらく大嬢の使いは「お嬢様があなたが来てくれないので、すっかり恋しがっておりますよ」といったのでしょう。

なので、その返答です。

しかし、いったんは肯定しながら、その次の771は

偽りも似付きてそするうつくしもまこと我妹子我に恋ひめや

(うそだって本当らしくつくものです。本心から実際にあなたが、私に恋してなどいるでしょうか)

と疑いを述べています。つまり、お使いの伝聞ですから、うれしくてもあまり信用できない、とわざと言いながら、相手の気持ちを確かめようとしているのですね。

その後が

夢にだに見えむと我はほどけども相思はねばうべ見えざらん

(会えないのでせめて夢で逢おうと思って紐を解いて寝てみましたが、あなたが思ってくれるのでなければ夢でも会えません)

この場合の「見る」は「会う」と同じ意味で、「紐を解く」は男女が床を共にすること。

「私は夢でだって会いたいと思うくらいあなたを思っているのに、あなたはちっとも思ってくれない証拠に、夢に出てこなかったよ。あなたにも思ってほしいのだが」と、愛のたけを述べ、また気持ちはわかっているのに、あえてそう言って、甘えている感じもしますね。

そして、また話を戻して、最初の「諸弟らが練りのむらとに欺かれけり」、つまり、「諸弟が、あなたが私を恋していると言うから、お使いの言葉なので信用できないにしても、うれしくなって舞い上がってしまうよ」と言っているわけです。

そして、それをさらにダメ出しのように強調するものとして、次の歌、

百千度恋ふと言ふとも諸弟らが練りの言葉はわれは頼まじ

(何千回もあなたが私を恋しがっているといっても、諸弟の言葉にはもうだまされませんよ)

といっているのです。

これが、お使いの人の伝えた、大嬢の言葉に対する家持の返答なのですね。

そして、恋愛の歌らしく、「ほんとう?嘘だよね」とばかり、相手の気持ちをわざと疑って見せながら、言葉、つまり、一連の作品として歌を重ねていくのです。

再度言うと、初めの歌「言問はぬ木すら紫陽花諸弟らが練りのむらとにあざむかえけり」は、「普段は落ち着いた私だが、そう言われたらうれしくなって本当にしてしまうよ。それでもいいのかしら」という相手への気持ちの確認の意味なのでしょう。

坂上大嬢のプロフィール

そしてこの恋の歌の行方がどうなったのかというと、坂上大嬢のwikipediaの説明を見てみますと

大伴坂上大嬢

大伴家持の従妹でのち正妻になる。名は坂上大娘とも見える。大嬢を「おほひめ」「おほをとめ」などと訓む説もある。

天平4年(732年)頃から家持との間に歌の贈答が見られるが、その後離絶。天平11年(739年)頃から再び交渉を持ち、恭仁に都があった頃(天平12年(740年) - 16年(744年))、家持の正妻になったかと思われる。

お使いの少年が言ったことが本当のことで良かったですね。というより、それを知っていてもたくさんの歌を書き送る家持なのでした。

おそらく、その少年を迎えた庭に、紫陽花が咲き開いていたのでしょう。

季節はちょうど今頃のことだったと思われます。

終わりに

「お天気検定」がきっかけで、大伴家持の紫陽花の歌を読んでみましたが、とても楽しい一連でした。

今日は恋の駆け引きが伝わる万葉集の、紫陽花の短歌をご紹介しました。

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