磐代の浜松が枝を引き結びま幸くあらばまたかへり見む 有間皇子の結び松の和歌  

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磐代の浜松が枝を引き結びま幸くあらばまたかへり見む 有間皇子の結び松の和歌

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磐代の浜松が枝を引き結びま幸くあらばまた還り見む  有間皇子の万葉集の代表的な短歌作品の現代語訳、句切れと語句、品詞分解を解説します。

この和歌に詠まれた「結び松」は遺跡として、今も人々に親しまれています。

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磐代いわしろの浜松が引き結びまさきくあらばまたかへり見む

読み:いわしろの はままつがえを ひきむすび まさきくあれば またかえりみん

作者と出典

有間皇子(ありまのみこ) 万葉集141

現代語訳

磐代の浜松の枝を引き結んで、幸い無事でいられたら、また立ち返って見よう

語句と文法の解説

・磐代…今の紀伊

・浜松…浜辺に生える松の木

・枝…「え」と読む 浜松の枝のこと 草の葉や木の枝を結ぶことは古代の習慣

「ま幸くあらば」の品詞分解

各語の品詞分解です

ま幸く

・「ま」は接頭語 他に「まがなし」など。

・「幸(さき)く」は「無事に」の意味

あらば

・あら…基本形「あり」の動詞

・ば…接続助詞順接仮定条件 訳は「あったならば」

句切れについて

句切れなし

解説と鑑賞

有間皇子の和歌は万葉集に2首が収録されており、この歌はその1首目。

「万葉集」の詞書には「有間皇子自ら傷(かな)しみて待つが枝を結べる歌二首」とあります。

―有間皇子自ら傷(かな)しみて待つが枝を結べる歌二首

磐代いわしろ磐代の浜松が引き結びまさきくあらばまたかへり見む

家にあればに盛るいひを草枕旅にしあれば椎の葉に盛る

有間皇子は、蘇我赤兄 (あかえ) にはかられて謀反を企ててとらえられ、行宮(あんぐう)で尋問となりましたが、その行宮に護送される途中、今の紀伊である、磐代海岸に立ち寄りました。

古代には、草木を結んで幸福を願うという信仰や習慣があり、そのため、皇子も末の枝を結びました。

というのは、皇子は謀反人として捕らえられたので、このあとの自分の運命、命が長く続くように祈ったのです。

「ま幸くあらば」は、「自分が無事であったならば」との意味で、「命があったら、今結んだ歌を再び見よう」という意味合いであったと思われます。

斎藤茂吉の「万葉秀歌」解説

斎藤茂吉はこの歌の解説で

この歌は哀切である。こういう万一の場合にのぞんでも、ただの主観の語を吐き出すというようなことをせず、ご自分をそのまま素直に言い表されて、そして、結句に「またかへり見む」という感慨の語を据えてある。

と述べています。

また、一首の構成について、「『引き結び』と言っておいて、『まさきくあらば』と続けてるが、その間に幾分の休止がある」という点にも注目しています。

 

「岩代の結松」の場所

皇子は行宮についた後、藤白坂で絞首刑となりましたが、御年はその時19歳。

不遇の王子の死を悼むその松の場所が、今も遺跡として残されています。

上の万葉集所収の和歌は、護送される途中で詠んだとされる。




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