石川啄木と芸妓小奴 北海道時代「忘れがたき人々」の女性  

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石川啄木と芸妓小奴 北海道時代「忘れがたき人々」の女性

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石川啄木の北海道時代、短歌に詠まれたモデルとなった人には、芸子の小奴他の女性がいます。

『一握の砂』から、石川啄木の恋愛の短歌、「相聞歌」を読んでいきたいと思います。

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啄木の主要な短歌作品については、

『一握の砂』石川啄木のこれだけは読んでおきたい短歌代表作8首

石川啄木の短歌の特徴 三行書きと口語体による生活詠

 

『一握の砂』における石川啄木の恋愛の短歌

啄木の恋愛の短歌は、『一握の砂』では、北海道流離時代の「忘れがたき人々」に見られます。

函館、札幌、小樽、釧路などで出会った人々の回想を詠んだもので、その中に恋愛の対象となった人のことも登場します。

芸妓の小奴を詠んだ12首では、歌の中にそのまま小奴の名が出てきます。

その他に看護婦の梅川ミサホ、寺の住職の娘である小菅まさえといった女性ともかかわりがあったと言われています。

この記事では啄木の交際相手として有名な、芸妓小奴他を呼んだと思われる歌を取り上げます。

 

芸妓小奴と、梅川ミサホとその周辺の歌

啄木は釧路では芸妓「小奴」の他、看護婦の梅川ミサホ、寺の住職の娘である「小菅まさえ」なにどと恋仲になったとされている。

ただし、芸者屋に出入りをしたのは、新聞社勤めの際、花柳界の記事を書くための取材でもあった。

以下に、小奴他を詠んだと思われる歌の内いくつかを挙げておく。

 

小奴(こやつこ)といひし女のやはらかき耳朶(みみたぼ)なども忘れがたかり

現代語訳:小奴といった女の柔らかい耳たぶなども忘れ難い

 

よりそひて深夜の雪の中に立つ女の右手(めて)のあたたかさかな

現代語訳:よりそって寒い深夜の雪の中に立った女の手を取った、その右手のあたたかさよ

 

死にたくはないかと言へばこれ見よと咽喉(のんど)の痍きずを見せし女かな

現代語訳:「死にたくはないか」と聞けば、「これを見なさい」と咽喉の傷痕を見せた女よ

註:小奴との有名なエピソード。啄木は知らなかったが、その「傷」とは傷ではなく、「死」を口にした啄木をけん制するため、小奴が機転を利かせたということのようだ。

解説記事
死にたくはないかと言へばこれ見よと咽喉の痍を見せし女かな 石川啄木

 

死ぬばかり我が酔ふをまちていろいろのかなしきことを囁ささやきし人

現代語訳:死にそうになるまで私が酔うのを待って、様々な愛語を口にした人よ

 

かなしきはかの白玉のごとくなる腕に残せしキスの痕かな

現代語訳:愛しいのはあの白い球のような腕に残したキスのあとだよ

 

酔ひてわがうつむく時も水ほしと眼めひらく時も呼びし名なり

現代語訳:酔って自分がうつむく時も水が欲しいと目を開いたときも呼んだ名前であったその名を思い出す

 

火をしたふ虫のごとくにともしびの明るき家にかよひ慣れにき

現代語訳:灯を慕う虫であるかのように、灯火の明るい芸者屋に通い慣れたのだった

 

きしきしと寒さに踏めば板軋きしむかへりの廊下の不意のくちづけ

現代語訳:寒い中を歩むと板がきしきしときしむ帰りの廊下の不意のくちづけよ

 

その膝ひざに枕しつつも我がこころ思ひしはみな我のことなり

現代語訳:その女の膝に膝枕をしながらも自分の心が思うことは、ただ自分のことだけであった

 

註:利己的な啄木らしいともいえるが、こういうことをわざわざ詠むのも珍しい。

いずれにせよ、あくまで短い行きずりの関係であったということだろう。

結局啄木は一人東京に戻って、再び文学の道に入るので、それらのことを考えていたのかもしれない。

 

郷里にゐて身投げせしことありといふ女の三味(さみ)にうたへるゆふべ

現代語訳:郷里にいるときに身投げをしたことがあったという音が三味線に合わせて歌うこの夜

 

葡萄色(えびいろ)の古き手帳にのこりたるかの会合(あひびき)の時と処(ところ)かな

現代語訳:ワインレッドの古い手帳に残っているあの日の逢引きの時と場所だよ

註:「舞踏会の手帖」というモノクロの映画を思い出す。美しい回想でもある。

 

わが室へやに女泣きしを小説のなかの事かとおもひ出づる日

現代語訳:私の部屋に女が泣いていたのを小説の中のことように思い出す今日の日

 

註:梅川ミサホと小奴が鉢合わせをしてひと悶着あったらしいだが、これを見ると、啄木は女性に案外人気があったらしい。

特に釧路においては、新聞社から取材費が出たため、店に足しげく行くことも可能だった。

ある意味では啄木の北海道時代は、女性に囲まれて自由な日々を暮らしたともいえるだろう。

石川啄木とは

いしかわ‐たくぼく【石川啄木】 明治19~45年(1886‐1912)

岩手県生まれの明治末期の浪漫派の歌人、詩人。本名一(はじめ)。

詩集を刊行したほか、小説家を志していたが挫折して、与謝野鉄幹夫妻に師事し「明星」に短歌を投稿。その後、口語体の三行書きによる生活派の歌を詠んだ。明治45年4月13日、貧窮のうちに結核で死去。歌集は「一握の砂」「悲しき玩具」、他に「ローマ字日記」など。

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