彼岸や秋分の日に関する短歌にはどのようなものがあるでしょうか。
斎藤茂吉や佐藤佐太郎、木下利玄、北原白秋の秋の彼岸の花、曼珠沙華の短歌を合わせてご紹介します。
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彼岸の短歌
夏が過ぎて寄稿も穏やかになり、秋の兆しが感じられるのが、秋分の日です。
この日はお墓参りの日でもありますね。
彼岸や秋分の日、それから、彼岸に咲く花である曼珠沙華に関する短歌をご紹介します。
・・・
秋分の日の電車にて床にさす光とともに運ばれて行く
作者
佐藤佐太郎 歌集「帰潮」
一首の意味
秋分の日の電車に乗ったところ、電車の床に一面に窓から秋の柔らかく日が差している。その光と共に走る電車に身をゆだねて運ばれていくのだ
秋分の日の電車にて床にさす光とともに運ばれて行く【日めくり短歌】
解説
秋分の日を詠んで最も有名な短歌の一つです。
家いでて遠くあそべば空はれし秋の彼岸のひと日くれたり
作者
山口茂吉
一首の意味
家を出て遠く出かけてくれば、秋晴れの空の下、彼岸の一日が暮れたのだなあ
音たてて茅(ち)がやなびける山のうへに秋の彼岸のひかり差し居り
作者と出典
斎藤茂吉 「ともしび」
一首の意味
秋の風に音を立てて茅がやが傾くその山の上に、秋の彼岸の光が差している
斉藤茂吉には、他に、春の彼岸を詠んだ歌もあります
春彼岸に吾はもちひをあぶりけり餅は見てゐるうちにふくるる
うつつにしもののおもいを遂ぐるごと春の彼岸に降れる白雪(暁紅)
もあります。
まんじゆ沙華さけるを見つつ心さへつかれてをかの畑こえにけり
作者と出典
斎藤茂吉 歌集『あらたま』
一首の意味
曼殊沙華が咲いているのを見ながら、身体がくたびれる前に心も疲れてあの丘を越えたのであったなあ
肘折のいで湯浴(あ)みむと秋彼岸の狭間路(はざまじ)とほくのぼる楽しさ
作者と出典
斎藤茂吉
一首の意味
肘折温泉の湯につかろうと秋彼岸に谷の狭間の細い道を遠く上ろうとするこの歩みの楽しさよ
肘折温泉を尋ねた折の一連の短歌
泡立ちて湧きくる泉の香を好しと幾むすびしつけふの日和に/斎藤茂吉 肘折温泉
雲のうへより光が差せばあはれあはれ彼岸すぎてより鳴く蝉のこゑ
作者と出典
斎藤茂吉 「暁紅」
一首の意味
秋の彼岸が過ぎもう蝉がいなくなったと思っていると、天が晴れて思い出したように蝉がひとつ鳴いている。天然微妙で、計り知られぬものがあっていい
曼珠沙華ひたくれなゐに咲き騒(そ)めく野を朗かに秋の風吹く
作者と出典
伊藤左千夫
一首の意味
曼殊沙華がひた赤く咲きざわめいているような野を朗らかに秋の風が渡っていく
曼珠沙華一むら燃えて秋陽つよしそこ過ぎてゐるしづかなる径
作者と出典
木下利玄
一首の意味
曼殊沙華の一つの群れが燃えるように咲く上にまぶしく強い日差しが照るひとところを過ぎてたどれば静かな道だ
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旅人に宿かすが野のゆづる葉の紅葉せむ世や君を忘れむの意味解説
旅人に宿かすが野のゆづる葉の紅葉せむ世や君を忘れむ 「古今和歌六帖」の和歌が朝日新聞の天声人語で紹介されました。 『枕草子』においても引用されているこの和歌の意味と作者についてお知らせします。
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あらはなる秋の光に茎のびて曼珠沙華さくただひとつにて
作者と出典
佐藤佐太郎
一首の意味
明るく強い秋の光にまっすぐに茎だけを伸ばして曼殊沙華が咲いている。ただ一輪のみで
曼珠沙華そこらく赤き寺の山彼岸詣でのかげもふえけり
作者と出典
北原白秋
一首の意味
曼殊沙華がたくさん咲いている寺の山には、彼岸に詣でる人の影も増えているのだなあ
曼珠沙華のするどき象(かたち)夢にみしうちくだかれて秋ゆきぬべし
作者と出典
坪野哲久
一首の意味
秋の彼岸に咲く曼殊沙華のくっきりとしたの形を夢に見たが、夢が霧散したように秋も過ぎて行ってしまうのだ
岬にて三原の山と向ひつつ哀れなる火となる彼岸花
作者と出典
与謝野晶子 『白櫻集』
一首の意味
三原山と向かい合って岬に咲く彼岸花は哀れな火であるかのように見える
川に逆らひ咲く曼珠沙華赤ければせつに地獄に行きたし今日も
読み:かわにさからひ さくまんじゅしゃげ あかければ せつにじごくに いきたしきょうも
作者と出典
寺山修司
現代語訳
川岸に川に逆らうかのように咲く曼殊沙華の花の赤い色を見ると地獄へ行きたいと願う また今日も
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以上、今日の日めくり短歌は、秋の彼岸に関連する短歌をご紹介しました。
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