七草粥の日は1月7日。秋の七草は山上憶良の歌にあるものがよく知られていますが、春の七草の短歌は七草の一つ、セリを詠み込んだものが万葉集に2首あります。
きょうの日めくり短歌は、春の七草に関する短歌を集めてみました。
春の七草とは
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春の七草(ななくさ)とは7種類の野草・野菜。
7種の野草・野菜が入った粥(七草粥)を人日の節句(1月7日)の朝に食べる風習は、「七草粥」、その日は「七草粥の日」と呼ばれています。
春の七草の種類
春の七草の種類は、7つです。
せり 芹 は、今でも食される野菜の一つ。
なずな 薺 はぺんぺん草として親しまれています。 ごぎょう御形の別名はハハコグサ(母子草)。母子餅を人形に備える習慣があるそうで、人形に御をつけたので「ごぎょう」となりました。
はこべらは繁縷 はこべのこと。ほとけのざ 仏の座 は今でも道端で見かける、小さな赤い花をつける草です。
すずな 菘とは カブのことで、すずしろ(蘿蔔)は何のことはない、大根の別名です。
春の七草の短歌
春の七草の短歌は、作者不詳であるものの57調に並べた下の歌が伝えられています。
せりなずなごぎょうはこべらほとけのざ すずなすずしろこれぞ七種(ななくさ)
これは古い源氏物語の注釈書、1362年頃の『河海抄(かかいしょう)』 という書物に見られる和歌だそうです。
この通りに覚えると七草も覚えやすいかもしれませんね。
万葉集では七草は、セリだけが詠まれたものが3首あります。
あかねさす昼は田賜びてぬばたまの夜のいとまに摘める芹これ
読み: あかねさす ひるはたたびて ぬばたまの よるのいとまに つめるせりこれ
作者と出典:
橘諸兄(葛城王) 巻20-4455
和歌の意味
昼は班田の仕事で忙しく、夜の暇に摘んだセリがこれ、このセリだ
解説
橘諸兄(たちばなのもろえ)は役人であったので、田の仕事というのは、畑仕事ではなくて、田を配分するような公務であったようです。
そうして、摘んだ芹を女官の女性に渡した、その時の歌です。
芹を贈られた女官は次のような歌を返します 。
ますらをと 思えるものを 太刀佩(は)きて 可爾波(かには)の 田居(たい)に 芹ぞ摘みける
読み:ますらおとおもえるものを たちはきて かにわのたいに せりぞつみける
作者と出典:
巻20の4456 薩妙観命婦(
和歌の意味
大変お偉いあなた様が、立派な刀を腰に差したまま、田んぼで蟹のように這いつくばって、芹を摘んでくださったのですね
「可爾波」はどこかの地名のことで「蟹のように体を平たくして」の意味が含まれています。
橘諸兄には大伴家持と交流があったと伝えられ、他に万葉集には、紫陽花を詠んだ「紫陽花の八重咲くごとく八つ代にをいませ我が背子見つつ偲はむ」の歌があります。
山上臣憶良の秋の七草
一方、秋の七草、こちらは、山上憶良が詠んだのが最初で、そこにし記された草が秋の七草になったと言われています。
山上臣憶良の、秋の野の花を詠みし歌2首
秋の野に咲きたる花を指折り(およびをり)かき数ふれば七種(ななくさ)の花
-巻8 1537
萩の花尾花葛花(くずはな)なでしこの花おみなえしまた藤袴(ふじばかま)朝顔の花
-巻8 1538
正確には、2首目は短歌に似た五七七五七七の旋頭歌という形式のものです。
今ではあまり読まれなくなった旋頭歌ですが、芥川龍之介もこの形式による短歌を残していますね。
正岡子規の七草の短歌
正岡子規が新年詠で七草を詠んだものがあります。
なんと、鉢植えの七草なのですが、どんなものでしょうか。
あら玉の年のはじめの七草を籠(こ)に植えて来し病めるわがため
これは病気で外には出られない子規のために、御弟子の岡麓という歌人がプレゼントして、今でいう寄せ植えとしてお土産に持参したものです。
子規は大変喜んで、これを歌に詠んだのです。
その季節ごとのとりどりの草を集めた七草、無病息災を願う七草粥は昔から受け継がれてきたのですね。
きょうの日めくり短歌は、春の七草の短歌をご紹介しました。
それではまた!
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