あたらしき背広など着て旅をせむしかく今年も思ひ過ぎたる 石川啄木  

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あたらしき背広など着て旅をせむしかく今年も思ひ過ぎたる 石川啄木

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あたらしき背広など着て旅をせむしかく今年も思ひ過ぎたる 石川啄木の『一握の砂』の短歌代表作の一つとしてよく知られる一首です。

きょうの日めくり短歌は「服の日」にちなみ、石川啄木の背広の短歌をご紹介します。

読み:あたらしき せびろなどきて たびをせん しかくことしも おもいすぎたる

作者と出典

石川啄木  『一握の砂』

現代語訳:

新しい背広などを着て旅をしよう。そのように今年も思うだけで過ぎてしまった

語句の意味

  • せむ…「しよう」の意味。基本形「す+む」
  • 「む」は未来の意志を表す助動詞
  • しかく…副詞「しか(然)」の別の言い方。そう、そのように

句切れと文法

  • 2句切れ
  • 結句 「たる」は連用形。短歌の修辞法の一つ連用止め

 

解説と鑑賞

石川啄木の処女歌集『一握の砂』の「我を愛する歌」にある一首。

石川啄木の写真を見ると着物を着たものしか残っていませんが、背広は持っていたのだったかどうか、はっきりしていません。

いずれにしても、「背広」は貧しかった啄木にとっては、それ自体が手に入れがたい晴れ着であったのでしょう。

また、当時の洋服は、今のようにデパートで買うものではなくて、オーダーメイドが普通で、その意味でもなお贅沢感が漂います。

そのおろしたての背広をきて、そして、生活と仕事の行き詰まりを忘れて、すがすがしい思いで、旅行に出かけてみたい。

しかし、それは、心に思うだけで、決して実現はしにくいものでした。

ささやかな贅沢と小市民的な幸福すら、啄木にはかなえられなかったことがわかります。

そして、それが、「一握の砂」の原動力となった啄木の挫折の嘆きであるのでした。

 

あかじみし袷(あはせ)の襟よ
かなしくも
ふるさとの胡桃(くるみ)焼くるにほひす

こちらは、普段着ている着物を詠った作品。

意味は、「垢で汚れた着物の襟よ。悲しいことに、それが故郷のくるみを焼く臭いに似ているのだ」というもの。

こちらは、「新しき背広」とは対照的な、啄木の普段の格好なのでしょう。

昔は、着物を洗う時には、洗い張りという方法で、一枚一枚手洗いをしなければなりませんでした。

貧しい啄木の家は、女手は母と妻節子と2人がいたわけなのですが、二人の争いもあって殺伐としており、到底、着物の手入れどころではなかったのでしょう。

そのように、洗ってもいない着物にふるさとにつながる連想をして、心を慰める啄木の孤独な姿が浮かんできます。

 

萩原朔太郎の詩「旅上」のモチーフ

「あたらしき背広など着て旅をせむしかく今年も思ひ過ぎたる」

この歌の一首後は、「何がなしに息いききれるまで駆け出だしてみたくなりたり草原などを」と続きます。

そして、これらの短歌に触発を受けたと思われる、萩原朔太郎の詩が「旅上」(大正2年)です。

「旅上」

ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん。
汽車が山道をゆくとき
みづいろの窓によりかかりて
われひとりうれしきことをおもはむ
五月の朝のしののめ
うら若草のもえいづる心まかせに。

 

この「せめては新しき背広をきて」そして、その次の歌の「草原などを」にも通じる「若草」の言葉は、啄木の短歌の影響を思わせます。

啄木の歌が、北原白秋の「新らしき紺の背広を着しひとのあゆみをおもふ水仙の花」(明43年)に影響を受けたという指摘もあります。

北原白秋は、萩原朔太郎の詩の師ということになるので、朔太郎が、北原の歌のモチーフを取り入れた可能性も十分にありますが、石川啄木の『一握の砂』も明治43年刊行です。

どちらかというと、個人的には、朔太郎の詩は、「背広プラス旅」の組み合わせにポイントがあるので、白秋ではなく、啄木の短歌との類似の方が大きいように思えます。

「旅」の違い

しかし、あくまでそれはモチーフの一つであって、朔太郎の詩の方は、イマジネーションの旅の風景が続きますが、啄木の歌の方は、「背広プラス旅」を思いつきながらも、「しかく今年も思い過ぎたる」にとどまります。

なぜかは、あくまで詩のモチーフの問題でもありますが、ちなみに2人を比較してみると、朔太郎の方は親の家に寄食しており、生家は医業で貧しくはありませんでした。

ハイカラだった朔太郎は、背広を着た写真は何枚もありますし、旅行に行こうと思えば、フランスはともかく国内旅行の余裕は十分にありました。

なので、朔太郎のいう「旅」は、フランスへの旅、つまり、海外旅行の贅沢を言うのです。

石川啄木の貧しさ

それに対して、啄木の方は、自分ばかりか家族ぐるみで、明日の暮らしに困る生活ぶりでした。

海外などとはとんでもない、ささやかな娯楽さえもがなかったのです。

これらの作品と2人の生活は、同じ「背広プラス旅」にあっても、対比すればするほど、啄木の貧しさが浮き彫りになるばかりです。

日常を離れて旅に出たいというのは多くの人に共通する願望です。

この歌はおそらくその観点から、皆に記憶されているのでしょう。

しかし、「新しき背広など」の「など」には、むしろ、それが実現とは程遠いことを啄木は詠っているように思われます。

「今年も思い過ぎたる」の理由は、忙しさに取り紛れて旅には行けなかったということではない。

そう考えて一首を改めて読んでみると、旅に憧れるどころか、ともかくも貧しさを脱却したい、そのためにも、文学で名を上げたい、それが啄木の唯一の望みであったことがあたらめて思われるのです。

 

今日の日めくり短歌は、「服の日」にちなみ、石川啄木の背広と着物の短歌、その他をご紹介しました。


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