眞子さまの歌会始の短歌「烏瓜(からすうり)その実は冴ゆる朱の色に染まりてゆけり深まる秋に」について、去年に続いて様々な解説記事が出ています。
眞子さまの歌会始の歌には、婚約者小室圭さんとの結婚のご意志はあらわれているのでしょうか。思うに十分表されているとも追います。眞子さまの短歌を鑑賞します。
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眞子さまの歌会始の短歌
歌会始3か月遅れて3月26日に開催されました。
その際に詠まれt眞子さまの短歌に、前年に続いて再び注目が集まっています。
ポイントは、小室圭さんとの結婚ですが、私が詠むところでは、結婚のご意志は十分に表れているのではないかと思われます。
烏瓜その実は冴ゆる朱の色に染まりてゆけり深まる秋に
こちらが眞子さまのお読みになった、短歌の作品、御歌です。
読みは「からすうり そのみはさゆる あけのいろに そまりてゆけり ふかまるあきに」
ちなみに、眞子さまの昨年の御歌は 「望月に月の兎が棲まふかと思ふ心を持ちつぎゆかな」というものでした。
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眞子さまの短歌「望月に月の兎が棲まふかと思ふ心を持ちつぎゆかな」の意味
烏瓜とは
最近はあまり見かけなくなりましたが、地方では以前、秋になると楕円形の実が他の木の枝などに絡みついてぶら下がっている光景がよく見られたものです。
美しいというよりはどちらかというと、地味で素朴な実ということになります。
なお、実は鳥は食べるのかもしれませんが人の食用となるものではありません。
そのためもあってカラスウリと呼ばれているのでしょう。これを眞子さまはそちらでご覧になったのでしょうか。
あまり珍重される植物ではないのですが、眞子様のご年代では、比較的大きな実で、目に留まる赤い実が珍しかったのかもしれませんね。
烏瓜その実は冴ゆる朱の色に染まりてゆけり深まる秋に
御歌を見てみると、「からすうりは」とせずに「烏瓜」といったん切って、「その実は」と続けています。
カラスウリは植物の名前ですので、赤くなるのはカラスウリの実であって、「実」を入れて差し支えないのですが、あえて「その実」とすることで、実を強調することとなっています。
参考、与謝野晶子の烏瓜の歌
烏瓜の歌としては、与謝野晶子が詠んだものがあります
赤らかに雑木の垣のからす瓜なびくつる引き君まつわれば
からす瓜風にふるへば思はれぬ高く尖れる屋根に鳴る鐘
「実」と同じ音の「身」
和歌の言葉では、「実」は音の点からはおなじ「み」の音であるち「身」にも通じます。
このような技法は掛詞と呼ばれ、中世の和歌ではひじょうに多く使われました。
「身」の出てくる短歌
たとえば西行の
心なき身にもあはれは知られけりしぎ立つ沢の秋の夕暮れ
この歌の「心なき身」というのは、僧侶である西の地震のことを言うものですが、「身」は 地震のことを指します
そして、「身」に関しては、「この身」という言葉も、たいへん多く用いられることは、歌を詠む人なら誰しもが連想できることでしょう。
公園に志那のをとめをみるゆゑに幼な妻もつこの身愛(は)しけれ
上は斎藤茂吉の短歌の例です。
公園の少女を見ると思い出す妻のこと、その妻があるので自分自身も大切で愛おしい気持ちになるという意味です。
「実」は「身」の掛詞かも
もし、眞子様の短歌における「実」が「身」に通じるとすれば、自分自身の心身が冴えて、深まる秋に赤く染まっていく」というのは、やはり、結婚へのご期待やご意志を表したものと思っても十分に通じるものとも思われます。
烏瓜は最初に記したように、地味で素朴な植物です。たとえば、薔薇とか、蘭のような華美なものではないので、それにご自分を託したことも十分に考えられるでしょう。
そして、烏瓜は自然の景色の一部としてある野の草であり実であります。
だからこそ、季節の到来とともにおのずから実を赤くしていく、それを「朱の色」と美しい言葉で表現されています。
現在進行形の歌の内容
そして、「染まりてゆけり」というのは、「染まりぬ」現代語なら「染まった」という過去や完了形ではなくて、「ゆけり」の「り」は存続の助動詞というもので、「染まっていく」という進行形です。
「秋が来たので染まった」のではなくて、「深まる秋にだんだん染まっていく」というのは、現在進行形の事態に重なるものです。
また、この「染まる」というのは、自ら染まっていくものではあっても、秋という季節の中での受動的なものです。いきなり夏に染まろうと思って赤くなれるようなものではない。あくまで季節が主体の現象です。
あるいは、この「秋」という季節の到来とその事象を、ご結婚の時期や、小室圭さんそのものを表すものと考えてもいいかもしれません。
眞子さまの御歌を鑑賞して 終りに
眞子さまと小室圭さんとの結婚には賛否両論がこもごもに伝わっていますが、このお歌のご心情を推測するに限り、やはり、ご結婚へのご意志は十分に継続していると考えられなくもありません。
いずれにしても、女性らしいすてきな御歌と思われます。
そして何より、眞子さまがこれからお幸せになることを願ってやみません。