色見えで移ろふものは世の中の人の心の花にぞ有りける 小野小町の有名な和歌、代表的な短歌作品の現代語訳と句切れと語句、小野小町の短歌の特徴と合わせて解説します。
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色見えで移ろふものは世の中の人の心の花にぞ有りける
読み: いろみえで うつろうものは よのなかの ひとのこころの はなにぞありける
作者と出典
小野小町
現代語訳
草木の花なら色あせてゆくようすが見えるのだが、色に見えないで移り変わるものは、人の心という花であったのだ
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句切れと係り結び
句切れなし
「ぞ…ける」の係り結び
係り結びの解説
係り結びとは 短歌・古典和歌の修辞・表現技法解説
語と文法
- 色…かたちあるもの 恋 色欲
- 見えて…「て」は接続の助詞「て」と打消しの助詞「で」を掛ける
- 移ろふ…「色が変わる」の意味と人の心変わりを掛ける
- 世の中…男女の恋の中
- 人の心の花…人の心を花にたとえた 「ひと」には人間一般の意味合いがある
解説と鑑賞
「色」は花の色と同時に、恋愛のことを指す。恋の心変わりを、人の心はわからないと、恋と人の心のありようの嘆きを詠う歌。
「単に人の心が変わる」といわずに、「花の植物の色変わりのように、人の心は見えない」と例える。
「心」そのものは、目に見えるものではないが、「花の色のように」ということでイメージが鮮明になり、心の移ろいが可視化できる効果がある。
また、直截な恋の嘆きではなく、例えをもって上品な表現を選んでいる。
係り結びの「ぞ…ありける」は、「こころぞ」の「ぞ」でこころを強調し、結句「ありける」で、「であったのだなあ」という詠嘆を伝えている。
小野小町には、他にも、「花」と「色」を使った下の有名な和歌がある。
花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに
「花」や「色」の語を用いることで、一首に女流歌人らしい華やかさが生まれている。
小野小町の他の和歌
花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに
秋の夜も 名のみなりけり 逢ふといへば 事ぞともなく 明けぬるものを
今はとて わが身時雨に ふりぬれば 言の葉さへに うつろひにけり
色見えで 移ろふものは 世の中の 人の心の 花にぞありける
うつつには さもこそあらめ 夢にさへ 人めをもると 見るがわびしさ
小野小町はどんな歌人
六歌仙に選ばれた、ただ1人の女性歌人で、歌風はその情熱的な恋愛感情が反映され、繊麗・哀婉、柔軟艶麗と評される。
『古今和歌集』を編纂した紀貫之は、序文で、『万葉集』の頃の清純さを保ちながら、なよやかな王朝浪漫性を漂わせているとして小野小町を絶賛しており、和歌の腕は随一であった。
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小野小町の謎
ただ、それほどの名をはせた歌人でありながら、小野小町がどのような立場の人だったのかは、はっきりわかっていない。
遺された歌を見ると、小野小町は実際多くの相手との恋愛の贈答歌を交わしており、歌には、「かぎりなき思ひのまゝに夜も来む夢路をさへに人は咎めじ」などと、いわゆる禁じられた恋を詠ったものもあるので、思いが実らない、結婚できないうちに年を取ってしまったと解釈をすることもできる。
一方では、小野小町は、結婚ができない宮中、特に後宮の女官のような立場であったという説もあるので、あるいは和歌に恋愛へのあこがれを詠みながらも、自由な立場で実際に恋愛をできるような人ではなかったとも言われている。
あるいは、そのような立場であるからこそ、和歌のみが恋の場であり、男性と意を通わせる手段であったので、後世に名前が残るような傑作となる和歌を作り得たとも推測できる。
小野小町について
小野小町 生没年不詳 平安時代前期の女流歌人。承和~貞観中頃 (834~868頃) が活動期とされる。
六歌仙,三十六歌仙の一人。その出自や身分については,更衣や采女 (うねめ) などとする説があるが未詳。小野氏出身の宮廷女房という説もある。
『古今集』以下の勅撰集に 60首余入集,歌集に『小町集』がある。
「小町」は俗に美人の代名詞として用いられることがあり、「○○小町」との言い回しも多数使われる。