小野小町は平安時代の有名な女流歌人で、和歌作品は百人一首にも採られています。
小野小町の代表作といえる和歌作品をまとめてご紹介します。
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小野小町はどんな歌人
小野小町は平安時代の前期に活躍した女流歌人です。
どのような人だったのか詳しいことは謎なのですが、恋愛の歌が多くあり、恋の遍歴が多かったこと。
そこから、美人の代名詞として「小野小町」の名前が用いられるようになりました。
またもちろん、和歌の技法にも大変優れた歌人であり、古今集を編纂した紀貫之も、冒頭でその名をあげて紹介しており、時代の優れた歌人である、六歌仙、三十六歌仙にも名前を連ねています。
小野小町の代表的な作品を現代語訳と共にまとめます。詳しい解説はリンク先の個別ページにてご覧ください。
花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに
読み:はなのいろは うつりにけりな いたづらに わがよみにふる ながめせしまに
作者と出典
小野小町 (おののこまち)
古今和歌集 113 百人一首 9
現代語訳
桜の花はむなしく色あせてしまった。空しくも過ごす私の容色が衰えてしまったように
ワインポイント解説
百人一首に採られた有名な歌です。
恋が実らないことの嘆きと、思い続けた長い時間を、自分の容色に重ねています。
なお、この歌を本歌としたのが下の歌です。
花さそふ嵐の庭の雪ならでふりゆくものはわが身なりけり 百人一首96
詳しい解説は
うたた寝に恋しき人を見てしより夢てふものはたのみそめてき
読み:うたたねに こいしきひとを みてしより ゆめてうものは たのみそめてき
作者
小野小町 古今和歌集
現代語訳
うたた寝をして恋しい人を夢に見て以来、夢というはかないものを、私は頼みにし始めたのであった
ワインポイント解説
夢を「たのみそめてき」ということは、現実には会えていないのですね。
同情すべき境遇がうかがえます。
他にも有名な夢の歌が下の歌、
思ひつつ寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを
現代語での読み: おもいつつ ねればや ひとの みえつらん ゆめとしりせば さめざらましを
作者と出典
小野小町 古今集巻12・恋歌2・552
現代語訳
思いながら寝ればその人に夢で逢えるだろう 夢とわかったならば、覚めないでいてほしいものを
ワインポイント解説
「夢とわかって」がっかりするのではなく、いつまでもその夢心地の状態の中、恋しい人のそばにいたいという切ない心を詠っています。
色見えで移ろふものは世の中の人の心の花にぞ有りける
読み: いろみえで うつろうものは よのなかの ひとのこころの はなにぞありける
作者と出典
小野小町
現代語訳
草木の花なら色あせてゆくようすが見えるのだが、色に見えないで移り変わるものは、人の心という花であったのだ
ワインポイント解説
この「色」は、恋愛を指すのですが、華やかなものではなく、仏教的な意味をも含んでいます。
人の心変わりを嘆く歌なのです。
小野小町はどんな歌人
六歌仙に選ばれたただ一人の女性歌人で、歌風はその情熱的な恋愛感情が反映され、繊麗・哀婉、柔軟艶麗と評される。
『古今和歌集』を編纂した紀貫之は、序文で、『万葉集』の頃の清純さを保ちながら、なよやかな王朝浪漫性を漂わせているとして小野小町を絶賛しており、和歌の腕は随一であった。
ただ、それほどの名をはせた歌人でありながら、小野小町がどのような立場の人だったのかは、はっきりわかっていない。
遺された歌を見ると、小野小町は実際多くの相手との恋愛の贈答歌を交わしており、歌には、「かぎりなき思ひのまゝに夜も来む夢路をさへに人は咎めじ」などと、いわゆる禁じられた恋を詠ったものもあるので、思いが実らない、結婚できないうちに年を取ってしまったと解釈をすることもできる。
一方では、小野小町は、結婚ができない宮中、特に後宮の女官のような立場であったという説もあるので、あるいは和歌に恋愛へのあこがれを詠みながらも、自由な立場で実際に恋愛をできるような人ではなかったとも言われている。
あるいは、そのような立場であるからこそ、和歌のみが恋の場であり、男性と意を通わせる手段であったので、後世に名前が残るような傑作となる和歌を作り得たとも推測できる。
小野小町の他の和歌
秋の夜も 名のみなりけり 逢ふといへば 事ぞともなく 明けぬるものを
いとせめて 恋しき時は むばたまの 夜の衣を かへしてぞ着る
今はとて わが身時雨に ふりぬれば 言の葉さへに うつろひにけり
うつつには さもこそあらめ 夢にさへ 人めをもると 見るがわびしさ