古今・新古今集

六歌仙とは 紀貫之の六歌人の評を現代語訳付で解説

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六歌仙とは、古今和歌集の最初にある「仮名序」に記された、6人の歌人、僧正遍昭、在原業平、文屋康秀、喜撰法師、小野小町、大伴黒主を指す言葉です。

紀貫之が六歌仙の6人それぞれに記した歌人の評を現代語訳を通して解説します。

六歌仙とは

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六歌仙とは、紀貫之が撰者となって古今和歌集を編纂し、その序文の「仮名序」に記した6人の歌人を指します。

紀貫之自身は、六歌仙という言葉は使っておりませんで、その呼び名は後からつけられました。

復習!

『古今和歌集』(こきんわかしゅう)は、平安時代前期の勅撰和歌集。紀貫之が編纂と序文の「仮名序」を記した。

仮名序については、こちら
古今和歌集の仮名序とは紀貫之の序文 意味と内容解説 現代仮名遣い

六歌仙の「仙」の意味

六歌仙の「仙」の意味は、「その道をきわめた人。特にすぐれた人」を指す言葉です。

和歌の「歌仙」の他、漢詩などの「詩仙」の言葉があります。

六歌仙に選ばれた歌人

六歌仙に選ばれた歌人は以下のとおりです。

  • 僧正遍昭 (そうじょうへんじょう)
  • 在原業平 (ありひらのなりひら)
  • 文屋康秀 (ぶんやのやすひで)
  • 喜撰法師 (きせんほうし)
  • 小野小町 (おののこまち)
  • 大伴黒主 (おおとものくろぬし)

理由は「近き世にその名聞こえたる人」

紀貫之がこれらの歌人を選んだ理由は、仮名序にある通り、「近き世にその名聞こえたる人」、すなわち、名前のよく聞かれる人、有名な歌人、というのがその理由です。

また、これらの6人の歌人について、仮名序で記すに当たり、その前に、柿本人麻呂と山部赤人を「うたのひじり」としてすぐれた歌人として扱っています。

そして、その後に6人の評を記し、各歌人の代表作短歌をあげるという順序になっています。

 

六歌仙それぞれの歌人について

六歌仙のそれぞれの歌人について、紀貫之の述べたことの現代語訳を記します。

僧正遍昭

六歌仙の一人目、僧正遍昭(そうじょうへんじょう)については、

僧正遍照は歌の様は得たれども、誠すくなし。たとえば絵に描ける女を見て、徒に心を動かすがごとし。

現代語訳での意味は、

僧正は歌の形は心得ているけれども、心が伴っていない。たとえば、絵に書いた女性を見て無駄に心を惹かれるようなものだ。

としています。

僧正遍昭についての解説

僧正遍昭の歌は、歌として形は整っているけれども、薄っぺらで、心を打つものがないと酷評しているといえます。

僧正遍昭の代表作和歌 百人一首

天つ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ (僧正遍昭)

六歌仙の百人一首一覧と仮名序で紀貫之が六歌仙の作品として引用したものはこちら
六歌仙の百人一首の和歌と代表作短歌の現代語訳

 

在原業平

在原業平(ありわらのなりひら)については、

在原業平は、その心余りて、言葉足らず。萎める花の、色無くて、匂ひのこれるがごとし。

現代語訳での意味は、

心と情感ははあふれるほどであるが、言葉が未熟で足らない。しぼんだ花のようで、色がなく、匂いが残る花のようなものだ。

 

在原業平についての解説

在原業平については、情感の豊かさは十分に評価できるとしています。

しかし、心が勝ってしまって、歌の言葉がそれに追いついていかないとしているのです。

また、紀貫之は、上の僧正遍照の歌と合わせて、「歌の様」と「心」の両方がないと、短歌にならないと考えているようです。

在原業平の代表作短歌

ちはやぶる神世も聞かず竜田川 からくれなゐに水くくるとは 在原業平

白玉か何ぞと人の問ひしとき露と答へて消えなましものを 在原業平

文屋康秀

文屋康秀 (ぶんやのやすひで)については

言葉は巧みにて、その様身に負わず。言はば、商人の良き衣着たらむがごとし。

現代語訳での意味は、

言葉は上手だが、この言葉が作者に合わない。言ってみれば、文学に秀でたのではない商人が良い服を来て、文才を装ったようなものだ。

文屋康秀についての解説

文屋康秀の和歌においては、「歌の様」と「心」は十分だか、それが作者の人格に合わないとしています。

貴族や武士などの高い身分でない、商人を例に挙げて、「人に似合わない」としているのですから、歌の批評というよりも、人の批評に近いところがあります。

文屋康秀の代表作短歌 百人一首

吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を 嵐といふらむ 22番 (文屋康秀)

 

喜撰法師

喜撰法師については、

言葉微かにして、始め、終り、確かならず。言はば、秋の月を見るに、暁の雲に遭へるがごとし。

現代語訳での意味は、

言葉が不明瞭ではっきりせず、始めから終わりまでが首尾一貫していない。秋の月を見ようとしているのに、夜明けの雲しか見えないようなものだ。

喜撰法師についての解説

「始め、終り、確かならず」というのは、歌の体(たい)もそうですが、歌の主題がはっきりしないということのようです。

文字にしていることと、詠もうとしていることとがちぐはぐな印象ということでしょう。

喜撰法師の代表作 百人一首より

わが庵は都のたつみしかぞすむ 世を宇治山と人はいふなり/喜撰法師

 

小野小町

小野小町は、六歌仙で唯一の女性の歌人です。

小野小町については

古の衣通姫(そとおりひめ)の流(りう)なり。哀れなる様(やう)にて、強からず。言はば、好(よ)き女(をうな)の、悩める所有るに似たり。強からぬは、女の歌なればなるべし。

現代語訳での意味は、

最も古い衣通姫と同じ女流歌人。しみじみするようだが主張が強くはない。言ってみれば、好ましい女性が悩んでいるというような内容だ。強くないのは、女性の歌であるからだろう。

小野小町についての部分の解説

衣通姫(そとおりひめ)は、日本で最古の女流歌人です。衣通姫に似た作品というのではなくて、女流ということを強調しているのでしょう。

その上で、女性らしい内容だという印象を述べています。

小野小町の代表作 百人一首より

花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに/小野小町 表現技法と意味

 

大伴黒主

大伴黒主(おおとものくろぬし)については

その様、卑し。いえはば、薪(たきぎ)負へる山人の、花の陰に休めるが如し。

現代語訳での意味は、

歌が卑しい印象。まるで薪を背負った木こりが花かげにでも休んでいるかのようだ。

大伴黒主についての部分の解説

いきなり「その様、卑し」というのはたいへんな酷評であって、取り上げられた大伴氏も驚いたに違いありません。

大伴黒主の代表作短歌

思出(おもいいで)て恋しきときは初雁(はつかり)の鳴きてわたると人は知らずや

鏡山いざ立寄りて見て行かむ年経ぬる身は老いやしぬると

 

紀貫之の批評について

これらの歌人に対する、紀貫之の批評は率直でしかも辛辣(しんらつ)なものです。

各歌人の長所よりも、欠点の方が多く述べられており、各歌人を褒め称えて広く紹介するというようなものではないのです。

また、大伴黒主の批評にあるように、「その様、卑し」と言い切っているところを見ると、紀貫之自身の好みを反映させて選んだものとも思えません。

それでも、「六歌仙」以外の歌人は名を上げて批評するにも値しないとしているので、これらの歌人が、当時高名であり、それゆえに取り上げたということに間違いはないようです。

このように評されたからといって、在原業平や小野小町が劣るということではありませんので、各歌人の作品を、誤解のないように鑑賞していきたいものです。







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