御相いとどしたしみやすきなつかしき若葉木立の中の盧舎那仏 奈良の大仏の短歌  

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御相いとどしたしみやすきなつかしき若葉木立の中の盧舎那仏 奈良の大仏の短歌

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御相いとどしたしみやすきなつかしき若葉木立の中の盧舎那仏 与謝野晶子が奈良の大仏を詠んだ短歌です。

きょうの日めくり短歌は、「大仏の日」にちなみ、奈良の大仏の短歌をご紹介します。

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「大仏の日」とは

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752年(天平勝宝4年)のこの日、奈良・東大寺の大仏が完成し、開眼供養会(かいげんくようえ:魂入れの儀式)が盛大に行われことを記念する日です。

大仏は聖武天皇の発願で745年(天平17年)に制作が開始され、盧舎那仏(るしゃなぶつ)と言われる大乗仏教における仏の一つ、「奈良の大仏」として知られています。

以下は奈良の大仏を詠んだ短歌です。

 

御相(みさう)いとどしたしみやすきなつかしき若葉木立の中の盧舎那仏(るしゃなぶつ)

作者:与謝野晶子

現代語訳と意味

お顔が親しみやすく懐かしい若葉の林の中においでになる盧舎那仏の仏様よ

与謝野晶子の大仏の短歌の鑑賞

与謝野晶子が東大寺、奈良の大仏を詠んだ歌です。与謝野晶子が鎌倉の大仏を詠んだ短歌は

鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな

ですが、「美男におはす」の身近な感じと同じように、「親しみやすい」という点が、晶子特有の感じ方かもしれまあせん。

 

与謝野晶子の他の東大寺の短歌作品

讃ぜむにおん名は知らず大男花に吹かれておはす東大寺

夕風や煤のやうなる生もののかはほり飛べる東大寺かな

東大寺普請の足場とるを見て地軸ばらばら崩すここちす

東大寺二王の門を静かなるうす墨色にぬらす秋雨

 

おほらかにもろ手のゆびをひらかせておほきほとけはあまたらしたり

作者:会津八一

現代語訳と意味

ゆったりと両手の指をお開きになって、大仏様は天いっぱいに満ち広がっておられる

大仏の手の写真

 

会津八一の大仏の短歌の鑑賞

東大寺にある歌碑に刻まれた短歌です。

歌の元々はひらがなですが、漢字で書いてみると「おほらかに両手の指を開かせて大き仏は天足らしたり」。

「天足らす」は「天いっぱいに満ち広がる」の意味です。

会津八一の一連の短歌

あまたたびこのひろまへにめぐりきてたちたるわれぞ知るやみほとけ

毘樓博叉まゆねよせたるまなざしをまなこにみつつあきの野をゆく

おほてらのほとけのかぎり灯ともしてよるのみゆきを待つぞゆゆしき

おほてらのにはの幡鉾さよふけてぬひのほとけに露ぞおきにける

おとなへば僧たちいでておぼろげにわれをむかふるいしだたみかな

 

会津八一の仏像を詠んだ作品としては 「あめつちにわれひとりゐてたつごときこのさびしさをきみはほほえむ」がよく知られています。

 

時雨して奈良はさむけれ御水取なほ二月堂に行を終らざる

作者:中村憲吉

中村憲吉の大仏の短歌の鑑賞

東大寺の風景を詠んだ中村憲吉の短歌。御水取(おみずとり)とは、3月に奈良の東大寺二月堂行なわれる法会、儀式です。

如月を奈良いにしへの御ほとけに浄き閼伽井を汲む夜にぞあふ

憲吉には、他にも鎌倉の大仏を詠んだ「新芽立つ谷間あさけれ大佛にゆふざりきたる眉間のひかり」の一連もあります。

 

大仏の足もとに寝る夜寒哉

作者:正岡子規

正岡子規の大仏の俳句の感傷

東大寺の大仏を詠んだ句。

「長き夜や初夜の鐘撞く東大寺」と共に、子規が東大寺参拝の折りの句です。

そして他にも、東大寺に関するエピソードとしては、正岡子規の「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」は、元は東大寺に詣でた際の俳句であるということが伝わっています。

句としての配慮から「法隆寺」に変えられたと考えられています。

 

きょうの日めくり短歌は、「大仏の日」にちなみ、奈良の大仏の短歌をご紹介しました。

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