飛行機事故の短歌 与謝野晶子と葛原妙子  

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飛行機事故の短歌 与謝野晶子と葛原妙子

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与謝野晶子には、日本初の飛行機事故を詠んだ短歌があります。

きょうの日めくり短歌は、航空安全の日、茜雲忌にちなみ、飛行機事故の短歌をご紹介します。

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飛行機事故の短歌

きょうは、航空安全の日。

群馬県で飛行機墜落事故があった日です。

1985年(昭和60年)のこの日、日航機123便が群馬県の御巣鷹山(おすたかやま)に墜落し、520人の犠牲者を出した。生存者は4人であった。

遺族らがつくる「8・12連絡会」が編集したメッセージ集のタイトルから「茜雲忌」(あかねぐもき)とも呼ばれる。

飛行機事故を詠んだ短歌をご紹介します。

 

与謝野晶子の飛行機事故の短歌

与謝野晶子には、日本で初めての飛行機事故を詠んだ短歌があります。

木村四郎陸軍砲兵中尉と徳田金一陸軍歩兵中尉が操縦するブレリオ式飛行機が、松井村牛沼北方の山林に墜落したのです。

大正2年3月28日のことで、歌人の与謝野晶子は、両中尉の殉死を悼み、短歌15首を寄せました。

その中から抽出します。

大空を路とせし君いちはやく破滅を踏みぬかなしきかなや

うら若き二羽の隼血に染みて鳴く音絶えたる二羽のはやぶさ

久方の青き空よりわがむくろ埴(はに)に投ぐるも大君のため

現身のくだけて散るを飛行機の はがねの骨とひとしく語る

吾妹子と春の朝(あした)に立ちわかれ空の眞晝(まひる)の十二時に死ぬ

新しき世の犠牲かなし御空行き 危きを行きむなしくなりぬ

青空を名殘のものと大らかに 親も見たまへ妻も見たまへ

「十二時に死ぬ」とあるのは、飛行機の時計が12時を指して止まっていたという事実を詠み込んだものです。

 

全日空羽田沖墜落事故の短歌

歌人の葛原妙子は1966年2月4日金曜日に発生した全日空羽田沖墜落事故を詠んでいます。

二月四日美しき金曜日暮れむとし今をりし飛行機空にをらずと

めのまへの湾に落ちし飛行機を 然り、人も神もみざりき

巨大なる物体飛行機虚空より落ちし影あらず落ちし音あらず

 

飛行機事故は犠牲者の人数が多いため、絶対に避けなければならない事故です。

きょうは「航空安全の日」にちなみ、飛行機事故を詠んだ、歌人の短歌をご紹介しました。

それではまた!

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