石川啄木の作品には、短歌の他に詩、日記をまとめたものがあります。
石川啄木の作品についてご紹介します。
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石川啄木の作品の種類
石川啄木の代表作品は、短歌であり、石川啄木は「歌人」と分類されています。
ただし、石川啄木には、短歌の他にも、詩の作品、未完に終わった小説があります。
他に、本人が作品とみなしていたかどうかはわかりませんが、ローマ字で記した日記『ローマ字日記』も残されています。
この記事では、石川啄木の短歌の作品を一覧にまとめます。
もっとも代表的な作品だけを早く読みたいという方は、下の記事を参照してください。
石川啄木と詩
石川啄木は志したのは小説が完成しなかったため、1902年の夏、アメリカの海の詩集『Surf and Wave』の影響を受けて詩作に志し、東京新詩社の同人となって『明星』誌に投稿。
1905年5月には東京の小田島書房より処女詩集『あこがれ』を刊行、明星派の詩人としてその前途が嘱望されている。
現在では、石川啄木の試作品はとりあげられることが少なくなっている。
石川啄木と小説
石川啄木が小説を試みたのは3回。1902年(明治35)の秋上京後は、失敗して体を壊し、父に連れられて帰郷。
2度目は、結婚後の1906年代用教員の勤務のかたわら再び小説、『雲は天才である』『面影』『葬列(そうれつ)』を書いたが、いずれに失敗に終わった。
3度目は、1908年、北海道より上京後1か月余に『菊池君』『病院の窓』『母』『天鵞絨(ビロード)』『二筋の血』など五つの作品300余枚の原稿を書いたが、売り込みができず、これらの作品も失敗に終わっている。
また、小説や詩はやめてしまっても、与謝野鉄幹の歌会に出席、「明星」への投稿を続けていたために、短歌の作品が多く残ることとなり、それが『一握の砂』への出版につながった。
石川啄木は自らを天才と思っていたが、これらの体験は、石川啄木に大きな打撃を与え、その心境が、短歌にも大きく反映している。
石川啄木『雲は天才である』書き出し
六月三十日、S――村尋常高等小學校の職員室では、今しも壁の掛時計が平常の如く極めて活氣のない懶うげな悲鳴をあげて、――恐らく此時計までが學校教師の單調なる生活に感化されたのであらう、――午後の第三時を報じた。大方今は既四時近いのであらうか。といふのは、田舍の小學校にはよく有勝な奴で、自分が此學校に勤める樣になつて既に三ヶ月にもなるが、未だ嘗て此時計がK停車場やうの大時計と正確に合つて居た例がない、といふ事である。
石川啄木の『ローマ字日記』
09年春に記された石川啄木の日記様のメモ。
全編がローマ字で記されたが、これは女性遍歴を妻の節子に知らせたくなかったという理由と言われている。
北海道時代の女性との交流の他に、小説が成功しない悩みなどが記された。
啄木の文学を理解するために重要な資料となっている。
『ローマ字日記』の例
Jibun no hossuru mono wa subete uru koto ga dekinu to yû hukai, osorosii Situbô da.
石川啄木の短歌作品
石川啄木の歌集は、生前に出版された処女歌集の『一握の砂』と、啄木の死後出版された『悲しき玩具』の二冊があります。
石川啄木の短歌の主要な作品は以下の通りです。
不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心
現代語訳
不来方のお城の草に寝転んで 空に吸われた十五の心
解説ページ→「不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心」解説
東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる
現代語訳
東海の小島の磯の白砂に私は泣き濡れて蟹とたわむれる
解説ページ→東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」解説
頬につたふ涙のごわず一握の砂を示しし人を忘れず
現代語訳
頬につたう涙をぬぐわずに一握の砂を示した人を忘れない
解説ページ→頬につたふ涙のごわず一握の砂を示しし人を忘れず」解説
ふるさとの山に向ひて言ふことなしふるさとの山はありがたきかな
現代語訳
ふるさとの山は申し分がない。ふるさとの山はありがたいものだよ
解説ページ→ふるさとの山に向ひて言ふことなしふるさとの山はありがたきかな」解説
はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢっと手を見る
現代語訳
働いても働いて暮らしが楽になることはない。じっと手を見る
解説ページ→はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢっと手を見る」解説
砂山の砂に腹這ひ初恋のいたみを遠くおもい出づる日
現代語訳
いのちのない砂の悲しさよ 握るとさらさらと指の間から落ちる
解説ページ→砂山の砂に腹這ひ初恋のいたみを遠くおもい出づる日」解説
友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て妻としたしむ
現代語訳
友だちが皆ことごとく自分より偉く見える日だ そんな日には花を買ってきて妻と親しみ、その寂しさを紛らわすことだ
解説ページ→友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て妻としたしむ」解説
やはらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けと如く
現代語訳
柔らかに春の柳が青くなる北上川の岸辺が目に見える。泣けというかのように
解説ページ→ やはらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けと如くに」解説
ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく
現代語訳
故郷の訛りがなつかしい。停車場の人ごみのなかにそれを聴きにいく
解説ページ→ ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」解説
いのちなき砂のかなしさよさらさらと握れば指の間より落つ
現代語訳
いのちのない砂の悲しさよ 握るとさらさらと指の間から落ちる
解説ページ→ いのちなき砂のかなしさよさらさらと握れば指の間より落つ」解説
大といふ字を百あまり砂に書き死ぬことをやめて帰り来れり
現代語訳
大という字を百あまり砂に書いて死ぬことを止めて帰って来た
解説ページ→ 大といふ字を百あまり砂に書き死ぬことをやめて帰り来れり
たはむれに母を背負ひてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず
現代語訳
たわむれに母を背負って、その余りの軽さに泣いて三歩も歩むことができない
解説ページ→ たはむれに母を背負ひてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず
一度でも我に頭を下げさせし人みな死ねといのりてしこと
現代語訳
一度でも私に頭を下げさせた人は皆死ねと祈ったこと(がある)
解説ページ→ 「一度でも我に頭を下げさせし人みな死ねといのりてしこと」
石をもて追はるるごとくふるさとを出でしかなしみ消ゆる時なし
現代語訳
石を投げられて追い出されるかのように、故郷を出てきた悲しみは消えることがない
解説ページ→ 石をもて追はるるごとくふるさとを出でしかなしみ消ゆる時なし
己が名をほのかに呼びて涙せし十四の春にかへる術なし
現代語訳
自分の名前をふとつぶやいて涙を流したあの14歳の時の春に戻る方法はないのだ
解説ページ→ 己が名をほのかに呼びて涙せし十四の春にかへる術なし」解説
他の短歌一覧
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盛岡の中学校の露台(バルコン)の欄干(てすり)に最一度我を倚よらしめ
石川啄木の作品全般から、小説とその挫折、『ローマ字日記』、詩とその後の短歌についてお知らせしました。
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