鐘つけば銀杏散るなり建長寺 夏目漱石が松山時代に詠んだこの俳句が、正岡子規の「柿食えば」の句の下敷きになったとも言われています。
正岡子規の俳句の成立の背景について調べました。
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夏目漱石の俳句
「鐘つけば銀杏散るなり建長寺」の俳句は、一見して、正岡子規の有名な俳句に似ています。
夏目漱石は正岡子規と親交があった作家ですが、正岡子規の詠んだものよりも、夏目漱石の句の方が数か月早いのです。
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鐘つけば銀杏散るなり建長寺 夏目漱石
夏目漱石が呼んだこの句は、一見して、正岡子規の句によく似ています。
漱石が詠んだのはいつかというと、1895年(明治28年)9月。
漱石は、この年4月に松山に赴任。子規もまた松山に住み、交流を深めていました。
この句は、海南新聞、現在の愛媛新聞に掲載され、そして、その2か月後の、11月8日の「海南新聞」に子規の次の句
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
が掲載されました。
漱石の方は、建長寺、これは鎌倉にある有名なお寺です。
一方、子規の方は、奈良のお寺に参拝した折に、宿で詠んだものとされており、句集「寒山落木」の詞書には「法隆寺の茶店に憩ひて」という文言が見られます。
ただし、その時の寺は、実際は東大寺であったとも伝わっています。
これについて詳しくは
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺 正岡子規の俳句
正岡子規と漱石の二つの句の類似
二つの句の類似については、俳人の。坪内稔典は、この句を作った際、漱石のこの句が頭のどこかにあったのではないかと推測を述べています。
もっとも、子規はこの句だけを詠んだわけではありません。
同時に詠まれたのは下の歌
柿落ちて犬吠ゆる奈良の横町かな
渋柿やあら壁つづく奈良の町
晩鐘や寺の熟柿の落つる音
柿赤く稲田みのれり塀の内
そして、正岡子規の俳句集「寒山落木」に収められているその前後の柿の歌は
柿の実や口ばし赤き鳥が来る
柿落ちて犬吠ゆる奈良の横町かな
渋柿やあら壁つゞく奈良の町
渋柿や古寺多き奈良の町
町あれて柿の木多し一くるわ
高圓をかざして柿の在所哉
柿ばかり並べし須磨の小店哉
晩鐘や寺の熟柿の落つる音
村一つ渋柿勝に見ゆるかな
御所柿に小栗祭の用意かな
嫁がものに凡そ五町の柿畠
駄菓子売る茶店の門の柿青し
温泉の町を取り巻く柿の小山哉
柿の木や宮司が宿の門搆
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
垣ごしに渋柿垂るゝ隣かな
法隆寺の柿を詠んだものは、この中の一句であって、『寒山落木」に子規が自選して収められている俳句が、1万 2700句。
それを含めて、生涯で2万5千の句が詠まれたということになりますので、もはや誰の句が元になったというのもさほど問題とするところではないでしょう。