おほけなくうき世の民におほふかなわが立つ杣にすみぞめの袖 前大僧正慈円の百人一首95番と千載集の和歌の現代語訳、修辞法の解説と鑑賞を記します。
スポンサーリンク
おほけなくうき世の民におほふかなわが立つ杣にすみぞめの袖の解説
読み:おおけなく うきよのたみに おおうかな わがたつそまに すみずめのそで
作者と出典
前大僧正慈円
百人一首 95 千載集 雑中 1137
現代語訳:
身のほど知らずであるが、つらい世の中の人々を覆おうと思う。比叡山に住みはじめてから着ている墨染の衣の袖で
・・
語と句切れ・修辞法
・おほけなく…基本形「おほけなし」。意味は「身のほど知らず」または、「おそれ多い」。
おほけなし
②おそれ多い。
- 浮き世…「うき世」は「浮き世」と「憂き世」の掛詞
- 民…世間一般の人々
- おほう…「覆う」
- かな…詠嘆の終助詞
- 杣(そま)…植栽した木材をを切り出す山を指す 自分の住む比叡山を指す
- 墨染(すみぞめ)…僧侶の着る墨染めの衣の袖。
「墨染すみぞめ」と「住み初め(住みはじめること)」の掛詞となっている
句切れと修辞
- 3句切れ
- 掛詞
解説
鎌倉時代の僧侶である慈円の歌。
初句の「おほけなく」は謙遜を示しており、僧侶として世の人々を救いたいという気持ちが一首の主題となっている。
「うきよ」には、比叡山と離れた属世界である「浮世」という意味と、ともう一つ「憂き世」があり、「すなわち心配の多い世」ということを表し、「浮き世」によって、自らの僧侶という立場を暗示する。
さらに、「人々を救う」ということを「袖で覆う」と表す。
下二句「わが立つ杣にすみぞめの袖」は、その袖を以て覆うという倒置、さらに、僧侶の衣である墨染の衣、それを比叡山への「住み初め」とそれぞれ掛詞の技巧を用いて表現している。
慈円について
慈円 1155〜1225 鎌倉初期の天台宗の僧で歌人。
父は関白藤原忠通。九条兼実は兄にあたる。独自の歴史観から『愚管抄』を著したことでも知られるが、歌人としても名高く、『新古今集』など歴代の勅撰集に多くの歌が収められ、家集『拾玉集』も残されている。
慈円の他の和歌
いつまでか涙曇らで月は見し秋待ちえても秋ぞ恋しき (新古今379)
色まさる松こそ見ゆれ君をいのる春の日吉ひよしの山のかひより(拾玉集)
散りはてて花のかげなき木のもとにたつことやすき夏衣かな(新古177)
鵜飼舟あはれとぞ見るもののふの八十やそ宇治川の夕闇の空(新古251)
身にとまる思ひをおきのうは葉にてこの頃かなし夕暮の空(新古352)
いつまでか涙くもらで月は見し秋待ちえても秋ぞ恋しき(新古379)
夕まぐれ鴫たつ沢の忘れ水思ひ出づとも袖はぬれなむ(続古今357)
おほえ山かたぶく月の影さえて鳥羽田とばたの面おもにおつる雁がね(新古503)
そむれども散らぬたもとに時雨きて猶色ふかき神無月かな(拾玉集)
木の葉ちる宿にかたしく袖の色をありともしらでゆく嵐かな(新古559)
明けばまづ木の葉に袖をくらぶべし夜半よはの時雨しぐれよ夜半の涙よ(拾玉集)
わが心奥までわれがしるべせよわが行く道はわれのみぞ知る(拾玉集)