橘や花橘を詠み込んだ和歌は古典作品に多く見られます。
万葉集に始まり、新古今集の時代に至るまで、橘の花の短歌を一覧にまとめます。
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橘の花の和歌
橘と花橘は、和歌に多く詠まれる植物の一つです。
橘の花が詠まれる理由の一つは、その香りにあります。その香が、恋人や、生き別れになった人を思い出させるという、記憶のよすがとなる花として詠まれることが、古今集の時代には、常套となっていました。
橘の花とは
橘とはそもそも、どんなものかと首をひねる人が多いのですが、「柑橘」(かんきつ)の字に、橘が使われているのがわかる通り、蜜柑のような、柑橘類の木の花です。
タチバナは、ミカン科ミカン属の常緑小高木で柑橘類の一種。日本に古くから野生していた日本固有のカンキツである。常緑樹であり一年を通じて葉が緑色であることや黄色い実が比較的長い間、枝に残ることなどから縁起の良い木とされる。花や葉には他のミカン類と同様に良い芳香がある。
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橘の有名な和歌
橘の和歌で最も有名なものが下の和歌です。
さつき待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする
読み: さつきまつ はなたちばなの かをかげば むかしのひとの そでのかぞする
作者と出典
よみ人しらず(作者不詳)
古今和歌集 3-139 伊勢物語 60段
解説
詠み人知らずとされ、作者がはっきりしていないものの、この一首は、広く知れ渡り、この歌以後、花橘を詠んだ歌のほとんど全ては懐旧の情、それも特に昔の恋人への心情と結び付けて詠まれることになると言われます。
また、様々な歌人がこの歌を本歌として本歌取りの歌をつなげています。
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その一つ、この歌を本歌としたとされる歌が、「和泉式部日記」にある下の歌
薫る香によそふるよりはほととぎす聞かばやおなし声やしたると
現代語訳の読み:かおるかに よそうるよりは ほととぎす きかばやおなし こえやしたると
作者と出典
『和泉式部日記』 和泉式部
歌の現代語訳と意味
花橘の香は昔の人を思い出させると言いますが、それよりもほととぎすの声を聞きたいものです。同じ声がするのか
この冒頭で、最初の「さつき待つ花橘の香」が、昔の人のよすがとして共有されていたことが推察されます。
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もう一つ同じ歌の本歌取りが、藤原俊成の歌、
誰かまた花橘に思ひ出でむ我も昔の人となりなば
読み: たれかまた はなたちばなに おもいいでむ われもむかしの ひととなりなば
作者と出典
藤原俊成(ふじわらのとしなり)
新古今和歌集 巻第三 夏歌 238
現代語訳と意味
私が花橘の香をかいで昔の人を思い出すのと同じように、私が死んだあとに、このように私のことを誰かが思い出すのだろうか。
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他にも藤原定家の
夕暮はいづれの雲のなごりとて花たちばなに風の吹くらむ
俊成卿女
橘の匂ふあたりのうたた寝は夢も昔の袖の香ぞする
藤原家隆
今年より花咲きそむる橘のいかで昔の香に匂ふらむ
の歌が知られています。
万葉集の橘の和歌
万葉集には花橘とホトトギスの取り合わせが見られます。
我がやどの花橘にほととぎす今こそ鳴かめ友に逢へる時
読み:わがやどの はなたちばなに ほととぎす いまこそなかめ ともにあえるとき
作者と出典:
大伴書持 万葉集1481
現代語訳と意味
我が家の橘の木にとまっているほととぎすよ、鳴いておくれ。友に会っている今この時に
我が宿の花橘は散りにけり悔しき時に逢へる君かも
作者と出典:
作者不詳 万葉集1969
現代語訳と意味
家の花橘は散ってしまった。君に見せたかったのに悔やまれることだ
花橘の歌まとめ
万葉集においては、まだ「昔の人」の歌が詠まれていない時なので、橘の花が、夏の季節の到来を告げる「初花」であるところから、タイミングよく花が咲くことにまつわる歌が見られます。
以上橘の花と花橘を詠んだ和歌を、万葉集と古今・新古今和歌集の時代の歌からご紹介しました。