昔思ふ草の庵の夜の雨に涙な添へそ山ほととぎす
藤原俊成(ふじわらとしなり)の代表作として知られる、有名な短歌の現代語訳、品詞分解と修辞法の解説、鑑賞を記します。
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昔思ふ草の庵の夜の雨に涙な添へそ山ほととぎす
読み: むかしおもふ くさのいほりの よるのあめに なみだなそへそ やまほととぎす
作者と出典
藤原俊成(ふじわらのとしなり)
新古今集 夏・201
現代語訳と意味
華やかだった昔のことを思っている草庵の夜の雨に、悲しげな声を聞かせてさらに涙を加えさせないでくれ、山ほととぎすよ
句切と修辞法
- 初句の字余り
- 4句切れ
- 体言止め
- 倒置法
語句と文法
- 草の庵…粗末ないおり。漢詩からの引用
「涙な添へそ」の品詞分解
「な…そ」は柔らかい禁止を表す。「…しないでおくれ」の意味
解説と鑑賞
「右大臣家百首」。九条兼実入道が右大臣であった時、百首の歌を詠ませた折の歌で、詞書に
「入道前関白、右大臣に侍りける時、百首歌詠ませ侍りける」
とあり、お題は「郭公の歌」と記されている。
山ホトトギスの漢字は、「山郭公」のことで、郭公はホトトギスのことを指す。
漢詩の影響
「草の庵の夜の雨」の部分は、白楽天からの引用で、
蘭省花時錦帳下廬山雨夜草庵中
現代語訳:「蘭省の花の時錦帳の下、廬山の雨の夜草庵の中」
の部分から採られている。
それを、お題である郭公と組み合わせて詠まれた一首となる。
作者の心情
郭公を鄙(地方)に住むとりと見立てて、宮中を離れて昔の華やかな都と、の勤めの頃を回顧するというのが、「昔思う」の部分。
対して、歌に絵が買えれているのは今の「草の庵」のわび住まいとの対比となる。
夜にほととぎすが鳴くと、その頃の都が思われるという一種のノスタルジーと悲哀が作者の心情となる。
それをほととぎすに向かって呼びかけるというところに、作者の孤独と哀れさがある。
藤原俊成について
藤原俊成(ふじわらのとしなり)
1114-1204 平安後期-鎌倉時代の公卿(くぎょう),歌人。〈しゅんぜい〉とも読む。「千載和歌集」の撰者。歌は勅撰集に四百余首入集。
小倉百人一首 83 「世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる」の作者。作歌の理想として〈幽玄〉の美を説いた他、『新古今和歌集』(1205)や中世和歌の表現形成に大きく寄与。
歌風は、不遇感をベースにした濃厚な主情性を本質とする。
藤原定家は子ども、寂連は甥、藤原俊成女は孫だが養子となった。他にも「新古今和歌集」の歌人を育てた。