式子内親王は、高い身分にありながら、鎌倉時代の女流大歌人です。
式子内親王について、歴史的な背景、藤原定家とも言われる恋愛の相手についてと秀歌をまとめてご紹介します。
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式子内親王はどんな人
式子内親王は、鎌倉時代の代表的な女流歌人、男性歌人をしのぐほどの腕前でありました。
高い身分でありながら、同時に、ここまでの腕前を持った女流歌人は他にはいないと言われています。
また、詠まれた歌は秀歌ぞろいであるところも式子の特徴で、まことに大歌人といえます。
式子内親王の「忍ぶ恋」の歌
式子内親王の歌のテーマは「忍ぶ恋」です。
多くの歌は、恋愛がテーマであるわけですが、その点が、式子を大歌人たらしめなかった理由の一つであるかもしれません。
恋歌、相聞は短歌のテーマでありますが、たとえば柿本人麻呂や山部赤人などは恋愛がテーマではないものが秀歌と知られています。
私見を言えば、恋愛の歌はそれらに比べるとややや弱いということで、式子がそれらに劣るということではありません。
式子内親王の身分
内親王というのは、天皇の娘、または姉妹を指していう尊称で、式子内親王は、天皇の三女ということになります。
皇族の中でも直系で大変に身分が高い。そこに来て、他家に嫁入ったわけではなく、斎院という特別な尊い立場にあられました。
斎院というのは、神に仕える人ということで、人というよりも、神に近い。そのため、夫や子供がなく独身を通されたのです。
式子内親王の和歌の歴史的背景
式子内親王は、後白河天皇の三女として生まれました。
当時の日本は天皇制でしたが、源氏と平家が争い、源氏が勝つと源頼朝が、武士による鎌倉幕府を開き、日本の統治が朝廷から武士に移り、天皇の力はそれにより、おのずと弱まっていったのです。
その中で、天皇の三女である式子は斎院となることがおのずと定められていました。
つまり、恋愛も結婚もできない、また、神に仕える役職ですので、世俗とも一線を隔て、ある意味清い生活を強いられることとなりました。
式子内親王と和歌
しかし、天皇とその一族が和歌を詠むということは、古代から続けられたことであり、聖域に暮らす式子も、藤原俊成に和歌の手ほどきを受ける機会があった。
そして、俊成とその息子定家、他の歌人たちとも和歌によってつながりを持ちました。
斎院は人に見られないように暮らすのが慣わしですが、式子は歌によって、自分の存在を訴えることができたと思います。
また、神に仕える人ですので、華美なことは許されませんし、出歩くことも自由にはできなかったと推測されますが、歌の中では、恋愛や、美しい景色やものを詠むことも可能でした。
式子と世間をつなぐ唯一のもの、その中で自由を謳歌できるもの、それが和歌だったといえます。
式子内親王の恋愛の相手
式子が詠んだのは「忍ぶ恋」だった―それでは、その相手は誰かということが大きな疑問となることでしょう。
名前にあがるのが藤原定家なのですが、塚本邦雄は、式子の恋は、あくまで事実でも実在でもなかった、架空の「想像」と述べています。
相手を特定するものもなければ、想像とわかる資料も残ってはいませんが、多くの研究家が、ほぼそのような見方をしています。
式子にしてみれば、恋愛そのものを詠むわけにはいかなかった。あくまで、斎院の立場上、せいぜい、「忍ぶ恋」が本物の恋愛に置き換わるものであったでしょう。
藤原定家との関係
藤原定家との関係でいえば、父俊成は、短歌の指導を行った式子の師に当ります。
訪問の記述の回数などから、藤原俊成と定家が、直接に式子に仕えていたわけではなくても、後見のような立場ではなかったかとも言われています。
式子は身分の高い人で、自分で出歩くことなどはできませんので、対外的な用事をこなす外部の人が必ず必要だったと思われます。
式子内親王の和歌代表作品
代表的な作品は、やはり百人一首89番に採られた下の歌です。
玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることのよわりもぞする
意味は「わたしの命よ。絶えてしまうというなら絶えてしまっておくれ。生きつづけていたならば、恋心を秘めている力が弱って、秘めきれなくなるかもしれないので」。
いかにも忍ぶ恋を詠った和歌ですが自発的に詠まれたものではなく、題詠であり、縁語などの技巧が駆使された作品です。
詳しくは下の解説を
式子内親王の秀歌
式子内親王の秀歌とされる歌を記載しておきます。(参考:塚本邦雄「新古今歌人列伝」)
百首歌第一より
花はいさそこはかとなく見渡せば霞ぞかをる春の曙
はかなくて過ぎにし法を数ふればはなにものおもふ春ぞ経にける
残り行く有明の月の漏る影にほのぼの落つる葉隠れの花
忘れめや葵を草にひき結びかりねの野辺の露のあけぼの
ながむれば衣手涼し久方の天の河原の秋の夕暮
夕霧も心の底にむせびつつわが身一つの秋ぞふけゆく
さらぬだに雪の光はあるものをうたた有明の月ぞやすらふ
吹く風にたぐふ千鳥は過ぎぬなりあられぬ軒に残るおとづれ
恋ひ恋ひてよし見よ世にもあるべしと言ひしにあらず君も聞くらん
盃に春のなみだをそそぎける昔に似たる旅のまとゐに
日に千たび心は谷に投げ果てて有るにもあらず過ぐるわが身は
百首歌第二より
この世にはわすれぬ春のおもかげよ朧月夜のはなのひかりに
黄昏の軒端の荻にともすれば ほに出でぬ秋ぞ下にこととふ
今はとて影を隠さむ夕べにも我をば送れ山の端の月
霜置きてなほ頼みつる昆陽の蘆を雪こそ今朝は枯れ果ててけれ 冬
百首歌第三より
今桜咲きぬと見えてうすぐもり春に霞める世の気色かな
花は散てその色となくながむればむなしき空に春雨ぞふる
声はして雲路にむせぶほととぎす涙やそそくよひの村雨
かへりこぬ昔をいまと思ひねの夢の枕ににほふたちばな
→解説
うたたねの朝けの袖にかはるなりならすあふぎの秋の初風
跡もなき庭の浅茅にむすぼほれ露のそこなる松虫の声
花薄又露深し穂に出でてながめじと思ふ秋の盛りを
ながめ侘びぬ秋より外の宿もがな野にも山にも月やすむらん
秋の色は籬(まがき)にうとくなりゆけど手枕馴るるねやの月かげ
桐の葉も踏みわけ難くなりにけり必ず人を待つとなけれど
荒れ暮らす冬の空かな掻き曇り霙れ横切り風競ひつつ
天つ風こほりをわたる冬の夜の乙女の袖をみがく月影
しるべせよ跡なき波にこぐ舟の行へもしらぬ八重のしほ風.
夢にても見ゆらんものを歎きつつうちぬる宵の袖のけしきは
我が恋は知る人もなしせくとこの涙もらすなつげのを枕
暁のゆふつけ鳥ぞあはれなる長きねぶりを思ふまくらに
はかなしや風にただよふ波の上に鳰(にほ)の浮巣(うきす)のさても世をふる