世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる 藤原俊成 百人一首83番  

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世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる 藤原俊成 百人一首83番

2021年12月3日

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世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる

皇太后宮大夫俊成こと、藤原俊成百人一首83番にも採られた、代表作和歌の現代語訳、修辞法の解説、鑑賞を記します。

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世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる

現代語での読み: よのなかよ みちこそなけれ おもいいる やまのおくにも しかぞなくなる

作者と出典

皇太后宮大夫俊成 藤原俊成(ふじわらのとしなり)  

百人一首83番 『千載集』雑・1148

現代語訳と意味

ああこの世、世俗を離れるべく思いつめて入り込んだ山の奥にも、鹿が悲しげに鳴いているようだ。

句切と修辞法

  • 初句切れ
  • 「道こそなけれ」と「鹿ぞ鳴くなる」は係り結び

※係り結びについては
係り結びとは 短歌・古典和歌の修辞・表現技法解説

語句と文法

  • 世の中よ…「よ」は感嘆詞
  • 道…方法、手段を意味する
  • 思い入る…「思い」で切れ、「入る」を続けている。「思って入る」の意味か

係り結び

  • 道こそなけれ…「こそ…けれ」。「けれ」は「けり」(詠嘆の助動詞)の已然形
  • 鹿ぞ鳴くなる…「ぞ…なる」。「なる」は「なり」(状態・性質を表す助動詞)の已然形




解説と鑑賞

百人一首83番に入集している俊成の代表的な作品のひとつ。

初句で、「世の中よ」で句切れがあり、深い詠嘆の気持ちを表す。

世の中の辛さを逃れ出ようと思っても、逃れるべく入った山の中にも、鹿の声、それも痛切な痛苦の声が聞こえる。どこにも逃れるすべがないという嘆きを表す歌となっている。

「道」の意味

「道こそなけれ」は「道がない」と嘆く意味だが、その場合の道は手段や方法を表す。

一般に「辛さや悲しみを逃れる道」と理解されているが、塚本邦雄は、

「道は手段方法それも「逃れる手段」 方法と解するより先に、理非曲直を見定め行う義と受け取るのも自然」

との解釈を提示している。

作者の心情と背景

俊成は、10歳の時に父俊忠を病気で亡くした。そのため他家に養子へ入るなどし、父の後ろ盾がないために、役人としても出世できなかったという背景がある。

俊成の歌全体にある特徴として、自らの人生の不遇を詠む歌が多いことが挙げられる。

藤原俊成の他の歌

世の中は憂きふししげし篠原しのはらや旅にしあれば妹夢に見ゆ(新古976)

世の中を思ひつらねてながむればむなしき空に消ゆる白雲(新古1846)

憂き身をば我だに厭ふいとへただそをだに同じ心と思はむ(新古1143)

憂き夢はなごりまでこそ悲しけれ此の世ののちもなほや歎かむ(千載1127)

藤原俊成について

藤原俊成(ふじわらのとしなり)

1114-1204 平安後期-鎌倉時代の公卿(くぎょう),歌人。〈しゅんぜい〉とも読む。「千載和歌集」の撰者。歌は勅撰集に四百余首入集。
小倉百人一首 83 「世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる」の作者。

作歌の理想として〈幽玄〉の美を説いた他、『新古今和歌集』(1205)や中世和歌の表現形成に大きく寄与。
歌風は、不遇感をベースにした濃厚な主情性を本質とする。
藤原定家は子ども、寂連は甥、藤原俊成女は孫だが養子となった。他にも「新古今和歌集」の歌人を育てた。

百人一首の前後の歌

82.思ひわび さてもいのちは あるものを 憂きにたへぬは 涙なりけり (道因法師)

84.ながらへば またこのごろや しのばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき (藤原清輔朝臣)

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