朝日新聞の短歌時評に、斎藤見咲子さんと佐クマサトシさんの短歌が「反・発見の歌」として取り上げられました。
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「短歌時評」に「反・発見の歌」
朝日新聞のきょうの朝日歌壇のコラム、「短歌時評」に「反・発見の歌」というタイトルで、歌人緒山田航さんが次の歌を紹介
金星に向かって歩く たぶんあれ金星だよねやけにでかいし
作者: 斎藤見咲子
解説
歌誌「かばん」1月号に掲載の短歌ということなので、「かばん」の同人の歌人の方の作品です。
山田氏の評は「散歩の時のとりとめのない思考は的確に再現されている」。
もう少しいうと、「とりとめのない」のではなくて、最初に提示した金星という思い付きにに関して、金星かどうかということへの自らの疑義がそのまま時間順に続いているということです。
「でかいし」の結句は、終止形ではありませんが、短歌によくある倒置ではなく、思い付きの順序の通りが、歌にうつされています。
あえていうなら、「やけにでかいし」だから、またその「”金星”に向かって歩く」というのが、さらなる続きともいえるかもしれません。
しかし、循環型の思考である限り、歌はどこにも帰結をしない。
歩みと疑義はその時間の分だけパラレルに続く。作者に金星が同伴する如くに。
この歌に着目した山田氏が続いてあげるのが、次の歌、
クリスマス・ソングが好きだ クリスマス・ソングが好きだというのはうそだ
作者: 佐クマサトシ
解説
相反する二つの思考の事実を、並列するという構成です。
こちらは上の金星の歌とは大きな違いがあります。
「金星かどうか」は知識がなけれれば、誰もが抱いても不思議ではない問いといえます。
しかし、私自身が、ある事物を「好き」と考えて、その思考をそれを「うそだ」とする。
これはとても不思議な内容であり、「好きだ」という私に対しての疑義ではなく、懐疑を述べるという、深読みすればいささか実存的な意味合いを含む歌ともいえます。
山田氏は、下の歌について、
あいまいで矛盾に満ちていて答えの出ない感覚の方が、リアルではないかと問いかけている
と解説します。
そして、近代短歌にありがちであった「発見」について
「発見」で生じる快感よりも、どうしたって世界がクリアにならないことのリアルに賭けようとする
としてこれを「リアリズムの新傾向といえそうだ」と定義づけています。
佐クマサトシの短歌の読めるサイト
佐クマさんの短歌の掲載されているサイトは
以上、きょうの朝日新聞の短歌時評に掲載された短歌2首をご紹介しました。