西行法師の有名な和歌作品、読んでおきたい代表作7首とその他の短歌の現代語訳と解説、西行の歌風についてまとめます。
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西行法師の和歌一覧
西行法師は、俗人から出家、僧侶となって各地を旅しながら、生涯で焼く2300首の歌を詠んだといわれています。
新古今和歌集には、最多の94首が採られ、勅撰歌集の編纂を命じた後鳥羽院も、
「西行はおもしろくて、しかも心もことに深くてあはれなる、有難く出来がたき方も共に相兼ねて見ゆ。生得の歌人と覚ゆ。これによりておぼろげの人のまねびなんどすべき歌にあらず、不可説の上手なり」(「後鳥羽院口伝」より)
として、最高の賛辞を残しています。
西行法師の和歌代表作品
西行の代表作をあげ、一首ずつ現代語訳および解説を記します。
願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの望月のころ
読み:ねがわくは はなのしたにて はるしなん そのきさらぎの もちづきのころ
作者と出典
西行法師(さいぎょうほうし)
続古今和歌集 巻17・雑歌上・1527
現代語訳と意味
願うなら、桜の咲く春、その木の下に死にたいものだ。如月の満月の頃に
解説
西行の代表作。「釈迦のように死にたい」といった通りに、西行の命日は、旧暦の2月15日とされています。
心なき身にもあはれは知られけりしぎ立つ沢の秋の夕暮れ
読み: こころなき みにもあはれは しられけり しぎたつさはの あきのゆふぐれ
作者と出典
西行法師(さいぎょうほうし)
新古今和歌集 362 他に「西行法師歌集」
現代語訳と意味
あわれなど解すべくもないわが身にも、今それはよくわかることだ。鴨の飛び立つ沢辺の秋の夕暮れ
解説
新古今の有名な「三夕の歌」の一つとして知られる西行の代表作です。
関連記事:
見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ 藤原定家「三夕の歌」
道の辺に清水流るる柳陰しばしとてこそ立ちどまりつれ
読み: みちのべに しみずながるる やなぎかげ しばしとてこそ たちどまりつれ
作者と出典
西行法師(さいぎょうほうし)
新古今和歌集 262 他に「西行法師歌集」
現代語訳と意味
道のほとりに清水が流れている、そのそばの柳の木陰よ、ほんのちょっとと思って立ち止まったのであるが
解説
旅の途中の柳を詠んだ歌で、この柳は「西行柳」または「遊行柳」と呼ばれて、松尾芭蕉が訪ね、今に至るまで親しまれています。
吉野山梢の花を見し日より心は身にも添わずなりにき
読み:よしのやま こずえのはなを みしひより こころはみにも そわずなりにき
作者と出典
西行法師
新古今集 夏・(66)[続後拾遺101]
現代語訳と意味
吉野山の梢の花を見た日からというもの、私の心はいつも身体から離れているようになってしまった。
解説
吉野山の「花」は桜のことです。
西行は桜が好きで、吉野の桜を毎年見に訪れ、桜の歌が多く残されています。
そのうちの代表作の一つで、「花」は象徴的には、思いを寄せた「待賢門院」(たいけんもんいん)を指すとも言われています。
嘆けとて月やはものを思はする かこち顔なるわが涙かな
読み: なげけとて つきやはものを おもわする かこちがおなる わがなみだかな
出典
西行法師 百人一首86番 『千載集』926
現代語訳と意味
「嘆け」と言って、月が私を物思いにかりたてているのだろうか。そうではない、恋の悩みを月のせいとする私の涙なのだよ
解説
百人一首86番の西行の歌。恋の嘆きが月と取り合わせて詠まれています。
風になびく富士の煙の空に消えて行方も知らぬわが思ひかな
読み:かぜになびく ふじのけむりの そらにきえて ゆくえもしらぬ わがおもいかな
意味
風になびく富士山の煙が空に消えて、そのように行方も知れないわが心であるよ。
解説
東国への旅で富士山を詠んだ歌です。富士山を詠んで、下の句に自分の思いを織り交ぜています。
西行自身が、自分の一番の歌であるといったのがこの歌とされています。
年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり佐夜の中山
読み:としたけて またこゆべしとと おもいきや いのちなりけり さやのなかやま
意味
年も盛りを過ぎて、再び越えることになろうとは。命があってのことである。佐夜の中山よ。
解説
佐夜の中山は、東海道の難所。難儀しながらの年を取ってからの旅であったことが思われます。
西行法師の他の和歌
上記の他の有名な作品です。
もろともにわれをも具(ぐ)して散りね花うき世をいとふ心ある身ぞ
読み: むかしおもふ くさのいほりの よるのあめに なみだなそへそ やまほととぎす
作者と出典
西行法師
現代語訳と意味
生をいとう私であるから、桜よ、私も共に散らしてしまっておくれ
解説
「生をいとう」にはいろいろな意味がありそうですが、西行は僧侶なので、元々浮世の俗世間にある人ではありません。
おのづからいはぬを慕ふ人やあるとやすらふ程に年の暮れぬる
現代語での読み:おのずから いわぬをしたう ひとやあると やすらうほどに としのくれぬる
作者と出典
作者:西行法師 691番 山家集 西行法師家集
和歌の意味
言葉は掛けないが、ひょっとしてついてくる人もあろうかと、ぐずぐずしているうちに年も暮れてしまったよ
解説
年の暮れに合わせて自らの孤独な感情を織り交ぜて詠んでいます
西行法師の歌風
西行の和歌は、きわめてすぐれたものであり、後の世代の歌人に深い影響を及ぼしました。
その歌風の特徴をまとめると
・僧侶としての「遁世者」の立場、また旅する「漂泊の歌人」からの視点という特殊な主題と独自の詠風を築いた
・歌の主題に多いのは対象物が「花」と「月」、場所の「旅」と「草庵」で、旅での生活の現実体験を通して清澄な自然詠と心境を詠んだ
・作風は平明率直で真実感にあふれる
西行法師について
西行法師 1118年~1190年
俗名は佐藤義清(のりきよ)
北面の武士であったが、23歳で出家。法名は円位(えんい)というもので、西行は雅号。生涯を通じで諸国を行脚し、仏道修行と歌作に専心した。藤原俊成(しゅんぜい)と並ぶ平安時代の代表的な歌人。