千利休の茶道の道歌 利休百首 利休忌に読む教えの和歌【日めくり短歌】  

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千利休の茶道の道歌 利休百首 利休忌に読む教えの和歌【日めくり短歌】

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千利休は、豊臣秀吉の時代の有名な茶道家です。

千利休には、茶の道を説いた和歌百首があります。

きょうの日めくり短歌は、千利休の忌日にちなみ、千利休の茶道の道歌百首からご紹介します。

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千利休の利休道歌・利休百首とは

千利休の和歌というのは、利休道歌、または利休百首と呼ばれる百首の歌のことです。

解説によると

利休道歌(りきゅうどうか)は「利休百首(りきゅうひゃくしゅ)」ともいって、千利休の教えをわかりやすく、覚えやすいように、和歌の形にしたもの。 百首と言っても実際に100あるものそうでないものが存在する。

なので100首かどうかはともかく、千利休が自らの教えを和歌としたものは、今も茶道家の間で親しまれているようです。

 

千利休とは

戦国~安土桃山時代の茶人

天正19年2月28日(1591年4月21日)没。

利休百首の有名な和歌

利休百首の4首はとくに有名で、茶道に限らず、物を習う人の、心がけの指標となる教えの言葉です。

その道に入らんと思ふ心こそ我身ながらの師匠なりけれ

ならひつゝ見てこそ習へ習はずによしあしいふは愚かなりけり

心ざし深き人にはいくたびもあはれみ深く奥ぞをしふる

はぢをすて人に物とひ習ふべしこれぞ上手のもとゐなりける

利休百首代表歌4首の意味と訳

それぞれの意味が分かるように訳してみます。

その道に入らんと思ふ心こそ我身ながらの師匠なりけれ

意味と訳:

茶道の道に入ろうと思う心があれば、その心が即ち、己を導く自分の師となっている

 

ならひつゝ見てこそ習へ習はずによしあしいふは愚かなりけり

意味と訳:

習いながら見て覚えて習うことが肝要で、習わずに良しあしをあれこれ言うことは愚かなことである

 

心ざし深き人にはいくたびもあはれみ深く奥ぞをしふる

意味と訳:

学ぶ心の深い人には、何度でも地合いの心を以て、茶道の奥義をお教えしよう。

 

はぢをすて人に物とひ習ふべしこれぞ上手のもとゐなりける

意味と訳:

恥を捨てて人に物を訊きながら、習うべきである。これが、上手の元となるのである。

 

利休百首の冒頭にある、和歌の形態で書かれた文言は上の通りです。

茶道ばかりではなく、どの道においても、共通する教えとして読めるものだと思います。

利休百首の一連の歌は、wikibookで読めます
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E5%88%A9%E4%BC%91%E7%99%BE%E9%A6%96

 

伊藤左千夫の茶道愛好

茶道を愛した歌人といえば、アララギの伊藤左千夫が有名です。

あわせて読んでみましょう。

炉に近く梅の鉢置けば釜の煮ゆる煙がかかるその梅が枝に

晩年は、敷地内に茶室を作りました。

また、茶道の道具などにも、大きな関心があったようです。

茶を好む歌人(うたびと)左千夫冬ごもり楽焼を造り歌はつくらず

世の中の愚(おろか)が一人楽焼の茶碗を見ては涙こぼすも

50歳にならずに早世した伊藤左千夫ですが、晩年は暮らしぶりもよく、茶道を楽しんだことが伝わっています。

きょうの日めくり短歌は、千利休の忌日にちなみ、利休百首と、伊藤左千夫の短歌をご紹介しました。

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