畳を詠んだ短歌は、意外によく知られた歌が多く含まれます。
きょうの日めくり短歌は、「畳の日」にちなみ、有名な歌人の作品から畳の短歌をご紹介します。
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畳の短歌
きょう、4月29日は畳の日。
畳を詠んだ短歌は、意外にもよく知られた秀歌が多くみられます。
畳の短歌で有名なものを読んでいきましょう。
瓶(かめ)にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり
作者、正岡子規の有名な短歌。
意味は、「瓶に差した藤の花房が短いので畳の上に届かないでいることだよ」というものです。
この歌に深い意味を感じる人もいるようですが、子規はスケッチを好んでいたので、柄の構図をそのまま写し取ったような短歌のようにも思えます。
正岡子規のこの手法は「写生」と呼ばれるもので、その後のアララギ派の短歌の重要な理念の一つとなっています。
この心葬(はふ)り果てんと秀(ほ)の光る錐(きり)を畳に刺しにけるかも
作者は、斎藤茂吉。
その最初の歌集『赤光』にある歌です。
意味は、「この心の気持ちを葬り去ろうとして、刃先の光る錐を畳に刺した」という自らの行為を描写したもの。
この歌は、青春期の心の動揺を表すものとして、若い人に今も好まれる歌の一つのようです。
考えてみれば、畳であるから成立する歌なので、今の世のフローリングであればそうはいきません。
ちなみに、「この心」の内容は、恋愛の女性との別れにあります。
養父に禁じられ、関係を絶たざるをえなかなったもので、潜在的な怒りも感じられます。
をさなごは畳のうへに立ちて居りこのおさなごは立ちそめにけり
おなじく、斎藤茂吉作。
長男茂太の成長の様子を詠った歌で、その最初の歩みの感動を詠っています。
秀歌というほどではないのですが、素朴な喜びにあふれており、こちらも多くの人の共感を呼ぶ歌です。
斎藤茂吉の畳の歌は他にも、
うつり来しいへの畳のにほひさへ心がなしく 起臥 ( おきふ ) しにけり
なにがなし心おそれて居たりけり雨にしめれる畳のうへに
はやりかぜの熱おちゆきてしづかなる畳のうへにわれはすわりぬ
冬至過ぎてのびし日脚にもあらざらむ畳の上になじむしづかさ
作者は土屋文明。歌集『往還集』昭和14年作。
初期の短歌で、意味は、冬至は過ぎたものの、まだそれほど伸びたともいえないが、陽ざしが静かに、畳の上に広がっている」というもの。
この歌の一つ前、「休暇となり帰らずに居る下宿部屋思はぬところに夕影のさす」に続く静かな一連です。
手も足も室(へや)いっぱいに投げ出してやがて静かに起きかへるかな
石川啄木の歌。
畳は出てこないのですが、もちろん、ベッドがあったわけではありませんので、この時代、この歌を思い浮かべようとすると、畳の上に寝転んだ作者が浮かぶでしょう。
他に、啄木の畳の歌には下の歌もよく知られています。
ひと処、畳を見つめてありし間の その思ひを、 妻よ、語れといふや
歌集『悲しき玩具』より。
妻との悩みは、一握の砂においては、貧しさでしたが、この時期になると、啄木は結核にり患。
こころに思うことが多かったのでしょう。
「語れというや」は、「その思ひ」を「語れというのか」との問いかけです。
啄木の心中には、悲痛なものがあったに違いありません。
終わりに
近年は、畳敷きのある、和室のある家がない家も少なくありません。
一人住まいのワンルームならなおさらで、以前なら当たり前であった畳も、今は唱和を思わせる懐かしいアイテムになっています。
思い返すと時の流れとは、不思議なことですね。
きょうの、日めくり短歌は「畳の日」にちなみ、畳の詠まれた代表的な作品をご紹介しました。
それではまた!
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