山川登美子の代表作短歌  

広告 近代短歌

山川登美子の代表作短歌

※当サイトは広告を含む場合があります

山川登美子は「明星」の歌人、鉄幹をめぐって与謝野晶子の”恋のライバル”でもありました。

山川登美子の代表作短歌をお知らせします。

スポンサーリンク




山川登美子とは

山川登美子は、明治生まれの明星派の歌人です。

与謝野晶子とは友人同士で、共に歌誌『明星』を代表する歌人で、与謝野晶子、茅野雅子とともに三才媛とうたわれました。

与謝野晶子と茅野と3人で共同の歌集『恋衣』を上梓しています。

与謝野晶子の恋のライバル

また、山川登美子は、与謝野晶子の歌だけではなく、”恋のライバル”でもありました。

共に与謝野鉄幹に恋心を抱き、晶子の方が鉄幹と結婚。傷心の登美子は別な相手に嫁ぎますが、死別。

そしてやがて自身も肺結核を病み、1909年(明治42年)4月15日、29歳の若さで亡くなりました。

山川登美子の短歌の特徴

山川登美子の短歌は、与謝野晶子と比べると、創作的な着想や強い表現はなく、静かな抒情が感じられる、いわば女性らしい歌となっています。

後年は、夫をなくしたり、病気に倒れるなどの時期には沈痛ながら深みの感じられる歌が詠まれています。

 

山川登美子の代表作短歌

山川登美子の代表作短歌としてあげられる歌は以下のような作品です。

鳥籠をしづ枝にかけて永き日を桃の花かずかぞえてぞ見る

作者:山川登美子

山川登美子はこの歌を与謝野鉄幹に選ばれて、「明星」に参加します。

 

恋に病みけふしぬほどにいとあつきをとめにふらせ紅梅の露

作者:山川登美子

恋愛ではライバルの与謝野晶子に負けたとはいえ、登美子の歌も恋を詠って素晴らしいものがあります。

ひかえめながら情熱的なところも、登美子らしい歌です。

 

髪ながき少女(をとめ)とうまれしろ百合に額(ぬか)は伏せつつ君をこそ思へ

登美子は、与謝野鉄幹に「白百合の君」と呼ばれましたが、その由来の歌です。

 

それとなく紅き花みな友にゆづりそむきて泣きて忘れ草つむ

登美子は、与謝野晶子と、与謝野鉄幹を自分の方に振り向かせようと争ったわけですが、作者は紅き花である鉄幹をかなしみながらも、友人の晶子に譲ろうとする。

「赤き花」というのは鉄幹のことで、それを得た友が晶子です。

登美子は悲しみながら二人に背中を向けて、ひとり自分は忘れ草を摘むというものです。

 

父君に召されていなむとこしへの春あたたかき蓬莱(ほうらい)のしま

この作品は山川登美子の辞世の歌とされています。

先に亡くなった父を念頭に自らの死を予感した時の作品、悲しくも美しい歌と言えます。

『明星』時代は与謝野晶子の陰に隠れたといわれる山川登美子ですが、派手で誇張が目立つ晶子の歌よりも静かながら真実味にあふれており、その歌は皆胸を打つものばかりです。

特に恋の歌は切々として、女性の共感を誘います。折に触れて読み返したい歌の数々です。




-近代短歌

error: Content is protected !!