筑波山の歌垣とは 万葉集の時代の風習  

広告 万葉集

筑波山の歌垣とは 万葉集の時代の風習

※当サイトは広告を含む場合があります

歌垣とは、古代、万葉の時代の風習の一つで、筑波山で行われていたことがわかっています。

歌垣の様子のわかる高橋虫麻呂の万葉集の和歌をご紹介します。

スポンサーリンク




歌垣とは

歌垣(うたがき)というのは、古代の風習の一つで、男女が一定の場所に集まるお祭りのようなものであったようです。

万葉集には実際、歌垣の和歌が収録されていますが、実は日本だけではなく、アジアの他の国にもみられます。

関連記事:
万葉集とは古代の詩歌集!いにしえの心にふれてみよう

歌垣の内容

歌垣の「歌」は文字通り歌のことで、声に出し節をつけて、相手への気持ちを訴えます。

男性ではなく女性もお互いに歌い合い、気持ちが通じれば恋人や、結婚相手として結ばれました。

最初の歌垣は、言霊信仰に基づくものでしたが、次第に、若い男女の出会いの楽しみの場としての性格を強めていったようです。

 

筑波山と歌垣

歌垣の場所は、人が集まれるような地が選ばれ、筑波山の歌垣は、もっともよく知られています。

東国の方言ではこれを「かがい(嬥歌)」と呼んでいました。

日本三大歌垣

歌垣の主要な場所は以下の通り

  • 歌垣山…摂津 現在の大阪府
  • 杵島山…現在の佐賀県
  • 筑波山…常陸国 現在の茨城県

この3か所が、 「日本三大歌垣」とされており、歌がkの風習は日本全国においておこなわれていたことがわかります。

 

歌垣の和歌 高橋虫麻呂

歌垣の様子を伝える万葉集の歌は、高橋虫麻呂の歌がよく知られており、その雰囲気を伝えています。

鷲の住む 筑波の山の 裳羽服津(もはきつ)の その津の上に 率(あども)ひて 娘子壮士(をとめをとこ)の 行き集ひ かがふ嬥歌(かがひ)に 人妻に 我(わ)も交まじはらむ 我が妻に 人も言問へ この山を うしはく神の 昔より いさめぬわざぞ 今日のみは めぐしもな見そ 事も咎むな(9-1759)

 

作者と出典:

高橋虫麻呂 万葉集9巻 1759

この歌の現代語訳

鷲が生息する筑波山の裳羽服津のほとりに、男女が集まって歌い踊る嬥歌(かがひ)に、人の妻も私も交わろう。

私の妻にも、遠慮なく声をかけよ。この山を収める神様のいる昔から、許されていることであり、きょうのこの、嬥歌の日だけは、見苦しいとみずに、とがめずにあれよ

驚くのは、作者が自ら、私の妻にも声をかけてくれるように、歌の中で言っているところですね。

人びとがむしろ日常を問題なく暮らすために、神様の許してくれた風習ということで、このような自分な無礼講のお祭りの日を設けられていたのかもしれません。

高橋虫麻呂の他の歌は




-万葉集

error: Content is protected !!