夕されば小倉の山に鳴く鹿は今夜は鳴かず寝にけらしも 舒明天皇  

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夕されば小倉の山に鳴く鹿は今夜は鳴かず寝にけらしも 舒明天皇

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夕されば小倉の山に鳴く鹿は今夜は鳴かず寝にけらしも  作者舒明天皇の万葉集の代表的な和歌を鑑賞、解説します。

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夕されば小倉の山に鳴く鹿は今夜は鳴かず寝にけらしも

現代語での読み:ゆうされば おぐらのやまに なくしかは こよいはなかず いねにけらしも

作者

舒明天皇 じょめいてんのう 万葉集 8-1511

現代語訳

夕がたになると、いつも小倉の山で鳴く鹿が、今夜は鳴かない、多分もう寝てしまったのだろう

句切れと修辞

  • 句切れなし

語と文法

  • 夕されば…「されば」は「夕方になると」の意味 順接確定条件
  • 小倉山…奈良県にある山の名前で今はわからなくなっている
  • 鹿…鹿の声は秋の風物として歌に詠まれる

「い寝にけらしも」の品詞分解

・「寝」…基本形「寝(いね)る」で一つの動詞。ここでは連用形

・「に…」 完了の助動詞「ぬ」の連用形

・「けらし」過去推定の助動詞・終止形

・「も」…詠嘆の終助詞 意味は「…だなあ」「…ことよ」などと訳す

 

解説と鑑賞

舒明天皇の8巻、秋雑歌の最初の歌。巻頭歌。

小倉山は今は不明だが奈良県桜井市にある山とされている。

一首の主題

鹿は秋には妻となる雌の鹿を求めて鳴くと理解されており、鹿の声が聞こえないことから、妻を得たと作者は見て、その推測を歌にした。

作者の心情

妻を求める鹿の声は、悲しく苦しい声であり、それが途絶えたことで、鹿の得たのだろう安らぎや満足を作者も共有している。

また、鹿の声が聞こえないことから、「妻を得た」と作者が思うには、作者自身の境遇にも家庭的な幸福の経験があるとも思われる。

斎藤茂吉の『万葉秀歌』解説より

斎藤茂吉は『万葉秀歌にこの歌を取り上げて、以下のように評している。

調べ高くして潤いがあり、豊かにして弛まざる、万物を同化包摂つしたもう親愛の御心の流露であって、「いねにけらしも」の一句はまさに古今無上の結句だとおもうのである。第四句で、「今夜は鳴かず」と、其処に休止を置いたから、結句は独立句のように、豊かにして逼せまらざる重厚なものとなったが、よく読めばおのずから第四句に縷いとの如くに続き、また一首全体に響いて、気品の高い、いうにいわれぬ歌調となったものである。「いねにけらしも」は、親愛の大御心であるが、素朴・直接・人間的・肉体的で、後世の歌にこういう表現のないのは、総べてこういう特徴から歌人の心が遠離して行ったためである。此御歌は万葉集中最高峰の一つとおもうので、その説明をしたい念願を持っていたが、実際に当ると好い説明の文を作れないのは、この歌は渾一体の境界にあってこまごましい剖析をゆるさないからであろうか。―「万葉秀歌」斎藤茂吉著

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この歌の本歌取り

この歌の類歌古今集「奥山にもみじ踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき 猿丸太夫」 は この歌の本歌取りと思われる。

また、万葉集の9巻1664には、雄略天皇作のこの歌の類歌 「ゆふされば小倉の山に臥す鹿の今夜ひは鳴かず寝にけらしも」がある。

 

舒明天皇の他の和歌

舒明天皇の万葉集の掲載和歌は、以下と合わせて2首のみです。

大和には群山あれどとりよろふ天の香具山登り立ち国見をすれば国原は煙立ち立つ海原は鴎立ち立つ美(うま)し国ぞ蜻蛉島(あきつしま)大和の国は(万1-2)

※この歌の解説は

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