寺山修司の出発点は短歌の歌人としてでしたが、他に詩作品、俳句も残されています。
寺山修司の有名な詩、記憶に残るおすすめの名言をご紹介します。
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寺山修司とは
寺山修司は、後年は劇作家として知られていますが、世に出た最初のきっかけは、短歌の歌人としてでした。
マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや
海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手を広げていたり
一粒の向日葵の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき
本人は自らの職業については、「寺山修司」と名乗ったことも知られています。
短歌の他には俳句も詠み、幅広い分野で多彩な才能を開花させていったタイプの人でした。
今でいうなら、”マルチクリエイター”という言葉がぴったりするかもしれません。
寺山修司の有名な詩の作品
寺山修司の詩については、22歳の時に、詩集『われに五月を』が出版されました。
その最初に掲載された、巻頭の詩作品が下の「五月の詩」です。
五月の詩
五月の詩
きらめく季節に
たれがあの帆を歌ったか
つかのまの僕に
過ぎてゆく時よ夏休みよ さようなら
僕の少年よ さようなら
ひとりの空ではひとつの季節だけが必要だったのだ 重たい本 すこし
雲雀の血のにじんだそれらの歳月たち萌ゆる雑木は僕のなかにむせんだ
僕は知る 風のひかりのなかで
僕はもう花ばなを歌わないだろう
僕はもう小鳥やランプを歌わないだろう
春の水を祖国とよんで 旅立った友らのことを
そうして僕が知らない僕の新しい血について
僕は林で考えるだろう
木苺よ 寮よ 傷をもたない僕の青春よ
さようならきらめく季節に
たれがあの帆を歌ったか
つかのまの僕に
過ぎてゆく時よ二十才 僕は五月に誕生した
僕は木の葉をふみ若い樹木たちをよんでみる
いまこそ時 僕は僕の季節の入口で
はにかみながら鳥たちへ
手をあげてみる
二十才 僕は五月に誕生した
短歌においても、寺山修司のキーワードは「青春」、青春の時期に永遠のテーマがあるのが寺山です。
実際、老成するより先に早く亡くなってしまったこともありますが、短歌は12、3歳から始め、有名になった後は短歌も詩文も書かなくなってしまったので、残されているのは、多くこれ等の青春期の歌となっているのです。
他に、寺山修司の詩で、他によく引用されるのが、下の「一ばんみじかい叙情詩」詩です。
「一ばんみじかい叙情詩」
一ばんみじかい叙情詩
なみだは
にんげんのつくることのできる
一ばん小さな
海です
ただ、寺山修司の詩作品は、それほど有名ではありません。
寺山の詩文で、一番有名でよく知られているものはやはり、短歌の「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」だと思われます。
寺山修司の名言
寺山修司にはそれ以外に記した文章の中で、「名言」といってもいいような、心を惹かれる句があります。
ジャンルは特になく、いわゆるキャッチコピーのようなものと言えるかもしれません。
寺山修司の言葉として、記憶されているもっとも有名なものが下のような句です。
「書を捨てよ、町へ出よう」
‐寺山修司
寺山修司の評論集のタイトルですが、後に寺山の演劇のタイトルとしても採用されました。
他には
ふりむくな ふりむくな うしろには夢がない
‐寺山修司「さらはハイセイコー」
これは「ふりむくと/一人の少年が立っている/彼はハイセイコーが勝つたび/うれしくて/カレーライスを三杯も食べた」に始まるかなり長い詩の中の句です。
他にも「名言」として挙げられているものは、寺山修司の文章の中の、一断片にすぎません。
寺山修司の名言を集めた本
「ポケットに名言を」は逆に寺山修司が集めた、他の人の名言集ですが、寺山の感性がよくわかるものとなっており、今でも売れている格言集の一つです。
「寺山修司名言集―身捨つるほどの祖国はありや」は、寺山修司自身の出版物の中から、「名言」として取得できるものを集めた本で、こちらは寺山自身の言葉になります。
一番のおすすめは、やはり作品としてきちんと完成されているのが短歌です。下の文庫版が手軽に読めるのでおすすめです。
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