西田幾多郎は日本の哲学者、思索で生まれた名言はもちろんのこと、短歌で自己の心情を表したものも残されています。
きょうの日めくり短歌は、忌日「寸心忌」にちなみ、西田幾多郎の名言と短歌をご紹介します。
スポンサーリンク
西田幾多郎とは
きょう6月7日は、「寸心忌」。日本の哲学者の草分けである西田幾多郎の命日です。
西田幾多郎は、禅の思想を取り入れ、それまでの西洋哲学との融合を図り、代表作『善の研究』を記しました。
「絶対矛盾的自己同一論」を提唱、禅の実践から抽出された独自の学風は「西田哲学」と呼ばれています。
西田幾多郎の名言
西田幾多郎の「善の研究」のテーマである善については
「善とは一言にていえば人格の実現である」
「絶対矛盾的自己同一論」について
「衝突矛盾のあるところに精神あり、精神のあるところには矛盾衝突がある」
自己について
「自己が創造的となるということは、自己が世界から離れることではない、自己が創造的世界の作業的要素となることである」
西田哲学は難解なことで知られていますが、これらの言葉は一般的で理解しやすく、「名言」としてしばしば取り上げられています。
その他に、西田の心を保つのに必要だったと思われる短歌をご紹介していきましょう。
西田幾多郎と短歌
西田幾多郎の短歌については、これまで、201首が歌集にまとめられています。
アララギの島木赤彦と親交があり、アララギに「短歌について」他のとの小文を寄稿もしており、正岡子規の歌をノート裏表紙に記すなど、アララギの写生への同調と理解がみられます。
西田幾多郎の写生論
以下は西田がアララギの指針である「写生」について解説した文章の部分です。
写生といっても単に物の表面を写すことではない、生を以て生を写すことである。写すといえば既にそこに間隙がある、真の写生は生自身の言表でなければならぬ、否生が生自身の姿を見ることでなければならぬ。我々の身体は我々の生命の表現である。泣く所笑う所、一に潜める生命の表現ならざるはない。表現とは自己が自己の姿を見ることである。十七字の俳句、三十一文字の短歌も物自身の有つ真の生命の表現に外ならない。―『島木赤彦君』 『アララギ』926年に没後半年ほどした10月『アララギ』
哲学者の語るものですので、きわめて理論的に「写生」がとらえられ、西田自身の言葉も交えて説明されています。
西田幾多郎の短歌代表作品
西田幾多郎の短歌の代表的な作品をあげると、
天地の分れし時ゆよどみなくゆらぐ海原見れど飽かぬかも
万葉集の薫陶を受けたアララギ風の歌だということが、一目でわかる歌です。
人は人 吾(われ)は吾なり ともかくも 吾ゆく道を 吾はゆくなり
赤きもの赤しと云はであげつらひ五十路あまりの年をへにけり
わが心深き底あり喜も憂の波もとどかじと思う
世をはなれ人を忘れて我はただ己が心の奥底にすむ
これらは、哲学という”道”の上にある自分自身を詠ったものでしょう。
西田幾多郎の家庭生活
しかし、哲学者として思索を極めた生活とは他に、西田幾多郎の家庭生活は決して平たんなものでなく、子ども3人と妻を亡くすという大変な時期がありました。
担架にて此道行きしその日より帰らぬものとなりにし我子
死にし子と夢に語れり冬の朝さめての後の物のさびしさ
しみじみとこの人生を厭ひけりけふ此頃の冬の日のごと
子は右に母は左に床をなべ春は来れども起つ様もなし
かくてのみ生くべきものかこれの世に五年こなた安き日もなし(病児癒え難く思はる)
冬日影空しき閨(へや)に射して居りこやりし妻は此世にはなし
老いの身をいつこにおかむさすらひの旅にも似たりあはれ人の世
再婚で再生
しかし、西田はその後再婚し、歌も一転、心があたたまるような内容のものが詠まれます。
春や来し春来たるらし鶯の来鳴くあしたは心ときめく
年月日いきづき経来しわが心けふたぎり立つ君によれこそ
はしきやし君がみ胸にわが命長くもがなと思ふこの頃
かくてのみ直に逢はずばうは玉の夜の夢にをつぎて見えこそ
ゆるびたる心ももたじ幾年か思ひみだれて過せし我は
新しい伴侶を得て、心を弾ませる哲学者はこのとき47歳。
新しい妻となる人に会う前の心のときめき、妻に触れる時の心の高揚や、共に長生きしたいという思いも芽生えます。
相手に会わないと夢に見るくらいで、これまでの潤いのなかった生活を顧みる――
これらの歌は、初期の歌よりも、短歌としてもすぐれたものとなっています。
日本の代表的な哲学者である生の紆余曲折が刻まれた歌、短歌のお好きな方は是非読んでいただきたいと思います。
きょうの日めくり短歌は、哲学者西田幾多郎の短歌をご紹介しました。
それでは!
・日めくり短歌一覧はこちらから→日めくり短歌