アララギ派は短歌のグループ、一派の名称です。
アララギとは何か、アララギ派の特徴と代表的な歌人、命名の由来などについてわかりやすく解説をまとめます。
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アララギ派とは
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「アララギ派」というのは、短歌の流派の名前です。
「アララギ派」または「アララギ派の歌人」などというように使います。
アララギというのは、オンコ、イチイと同じで赤い実をつける針葉樹のことで、そこからアララギ派の短歌誌の名前として命名されました。
他にもこの時代には有名な「明星派」があり、歌誌「明星」に所属する歌人や短歌を分別していました。
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アララギ派の始め
「アララギ派」は明治時代、近代短歌に新しい息吹を吹き込んだ正岡子規にならった歌人たちが始めたグループである「根岸短歌会」がそのはじめです。
再度わかりやすく言うと、アララギ派の前身が「根岸短歌会」、歌誌の名前が「アララギ」となってのち、所属する歌人が「アララギ派」と呼ばれるようになったものです。
「アララギ」は短歌の月刊誌の名前
「アララギ」というのは、これは、同じ短歌の理念を持った歌人が歌を投稿する短歌の月刊誌の名称です。
最初は「馬酔木」(あしび)という雑誌名でしたが、後に「阿羅々木」という名称が採用されました。
創刊は1908(明治41)年。その際の代表は伊藤左千夫です。
「アララギ」の名称の由来
冊子にアララギとの名前を付けた由来は明らかではありませんが、それについて土屋文明が下のように語っています。
九州のハンセン氏病の施設に短歌の指導に行った際に、
「アララギ」という雑誌の名前だが、伊藤左千夫先生がつけられたので…(生前、由来はお聞きしなかったが、信州で樹を見られて)
と前置きをして、
「アララギは育ちにくいが育つと鬱蒼たる大樹になる。雑誌アララギも育ちにくいが大木になる」というお気持ちもあったのではないかと思う。」
とその由来を説明しています。
「アララギ」の終刊
「阿羅々木」より名前を変えて、島木赤彦、土屋文明らが支えた「アララギ」の終刊は、1997年 平成9年の12月のことでした。
これにより、「アララギ」そのものも解散して、その後アララギ系短歌投稿誌として、4つのグループに分かれました。
現在の「アララギ」
短歌の投稿冊子である「アララギ」は今はありません。
アララギの後継の4つのグループは、「青南」「アララギ派」「短歌21世紀」ともう一つ、「アララギ」の名前を今も残している、短歌結社の「新アララギ」になります。
アララギ派の代表的な歌人
アララギ派の歌人には正岡子規、伊藤左千夫、長塚節、斎藤茂吉、島木赤彦、古泉千樫、中村憲吉、土屋文明たちがとくに有名です。
他には、後に「アララギ」とは別の歌誌を作った人も含めると、佐藤佐太郎、近藤芳美、高安国世などもアララギ出身です。
他にも、「アララギ」に投稿をしていた歌人は、皆アララギ派の歌人と呼ばれています。
ただし、アララギ出身でも、釈迢空のようにアララギ派とは呼ばれない人もいます。
これは、以下に記す短歌のスタイルが「アララギ派」の特徴に沿ったものかどうかで分けられています。
アララギ派の代表的な歌人とその作品については、以下の記事をお読みください。
アララギ派の特徴 写実と写生
アララギ派の短歌の特徴は、アララギ派を最初に始めた、正岡子規の理念を守っているということです。
その一番大きなところは
・写実主義の短歌であること
・「写生」という短歌技法を重視すること
があります。
他にも所属する各人によって違いはありますが、上の2つに基づいた短歌を詠むというルールがあります。
写生と写実主義については、アララギの代表歌人の斎藤茂吉の以下の記事を参考にしてください。
短歌のリアリズム
短歌の写実主義は、他にも「リアリズム」という用語でも呼ばれます。
たとえば、空想を事実のように詠まない、「ごとく」以外の比喩や過度の擬人法は推奨されないなどの内容や技法上の特徴もあります。
アララギと万葉集
また、正岡子規が古今集や新古今集の歌を評価しなかったことから、その時代の掛詞や縁語などの技法を含む歌は良しとされません。
古典のテキストとしては、正岡子規が「万葉集」を推奨したので、万葉調の長歌を詠んだ伊藤左千夫や万葉集を講義した島木赤彦、「万葉秀歌」を記した斎藤茂吉や、万葉集を研究した土屋文明など、万葉集にかかわりを持った歌人が多くいます。
アララギ派歌人の代表作品一覧
古泉千樫の短歌代表作品50首 アララギ派の歌人の抒情と平淡 歌の特徴
土屋文明の短歌代表作品と名言「生活即短歌」戦後歌壇とアララギを牽引
斎藤茂吉とアララギについては