与謝野晶子の反戦の詩「君死にたまふことなかれ」が118年の今ウクライナに送られたというニュースです。
「君死にたまふことなかれ」の詩の内容をご紹介します。
「君死にたまふことなかれ」とは
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「君死にたまふことなかれ」は明治生まれの歌人で詩人でもある与謝野晶子が日露戦争に従軍した弟に呼びかける内容の詩または長歌です。
※「君死にたまふことなかれ」の全文と訳はこちらで読めます。
※与謝野晶子の代表作短歌
「君死にたまふことなかれ」の内容
「君死にたまふことなかれ」は5段に渡る長い詩で内容をまとめると
武器を持って人を殺せというのは、親の教えでも商家の教えでもない。天皇がそういうとも思われない。旅順が滅びてもよい、父を亡くしたばかり母の嘆き、残された新妻を思えば、自分ひとりの身ではないのがわかるだろう。弟よ、必ず死なないでいよ。
日露戦争で中国に行った弟
日露戦争下の1904年、与謝野晶子の弟は結婚後10カ月で召集を受けて、中国に行くことになりました。
戦地での弟を案じた与謝野晶子は、旅順包囲のニュースにこの詩を書きあげたと言います。
反戦の詩ですので、当時は作者晶子に対して「罪人」呼ばわりする批判も起きました。
弟に「死なないで」ということが、それほど危険な時代状況であったわけです。
118年後の「君死にたまふことなかれ」
この詩をウクライナの人に読んでもらおうと、118年を経てこの度ウクライナ語に翻訳されました。
日本ウクライナ文化交流協会の会長の小野元裕さんが、死者が5千人を超えるウクライナの状況を憂慮、ウクライナの人々に選んでもらおうとこの詩を送ることを思いつきました。
翻訳者はパブリー・ボグダンさん
翻訳者はウクライナ・キーウ出身で、富山国際大学の准教授、パブリー・ボグダンさん(49)。
ボグダンさんは「今のウクライナ人と100年前の日本人が同じことを考えていたことに感銘を受けた」としてこの詩の翻訳に着手したそうです。
「ああ、弟よ君を泣く」の表現
ここで興味深いのは、詩の書き出しの表現のボグダンさんの印象です。
冒頭の「君を泣く」という言い方はすごいウクライナに似ている。「君のために泣く」でも「君のことを思って泣く」じゃなくて「君を泣く」と。これは、ただ泣いて打ちひしがれているのではなく、悲しみを毅然と伝えていて、これはすごく強い人だから出た言葉じゃないかな ー出典:https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220809/k10013760831000.html
この指摘された「君を泣く」はあらためて読むと特殊な句だと気づきます。
「君を泣く」のこの表現は、晶子の夫与謝野鉄幹の相聞の短歌にもみられます。
君を泣き君を思へば粟田山そのありあけの霜白く見ゆ
鉄幹の方は、「君を思へば」が続くので、今目の前にいる人に呼び掛ける表現ではありません。
しかし、晶子の方は「ああ、弟よ」が付くことで、いっそう力強い表現となっています。
まとめ
118年を経てウクライナに送られることとなった与謝野晶子の詩。
この変わらない人と思う呼びかけが多くの人に届きますように。