与謝野晶子「ああ弟よ君を泣く」は与謝野鉄幹の短歌から  

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与謝野晶子「ああ弟よ君を泣く」は与謝野鉄幹の短歌から

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「君を泣く」は与謝野晶子の詩『君死にたまふことなかれ』の中の冒頭の言葉です。

『君死にたまふことなかれ』のウクライナ語の翻訳者が指摘した「君を泣く」が使われた与謝野鉄幹の短歌について記します。

「君死にたまふことなかれ」がウクライナ語に

 

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「君死にたまふことなかれ」は明治生まれの歌人で詩人でもある与謝野晶子が日露戦争に従軍した弟に呼びかける内容の詩または長歌です。

この詩をウクライナの人に読んでもらおうと、118年を経てこの度ウクライナ語に翻訳がなされました。

※「君死にたまふことなかれ」の全文と訳はこちらで読めます。

「君死にたまふことなかれ」作者与謝野晶子の意味と現代語訳

※与謝野晶子の代表作短歌

与謝野晶子の代表作品一覧 情熱の歌人5万首の短歌と詩

 

「君死にたまふことなかれ」の内容

「君死にたまふことなかれ」は5段に渡る長い詩で内容をまとめると

武器を持って人を殺せというのは、親の教えでも商家の教えでもない。天皇がそういうとも思われない。旅順が滅びてもよい、父を亡くしたばかり母の嘆き、残された新妻を思えば、自分ひとりの身ではないのがわかるだろう。弟よ、必ず死なないでいよ。

というものです。

 

「ああ、弟よ君を泣く」の印象

翻訳者はウクライナ・キーウ出身で、富山国際大学の准教授、パブリー・ボグダンさん(49)。

ボグダンさんは「今のウクライナ人と100年前の日本人が同じことを考えていたことに感銘を受けた」としてこの詩の翻訳に着手したそうです。

ここで興味深いのは、詩の書き出しの表現「君を泣く」についてのボグダンさんの印象です。

冒頭の「君を泣く」という言い方はすごいウクライナに似ている。「君のために泣く」でも「君のことを思って泣く」じゃなくて「君を泣く」と。これは、ただ泣いて打ちひしがれているのではなく、悲しみを毅然と伝えていて、これはすごく強い人だから出た言葉じゃないかな ー出典:https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220809/k10013760831000.html

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「君を泣く」の特殊な表現

この「君を泣く」というのは確かに特殊な表現です。

文法からいうと、「君を思う」という表現はありますが、この場合「思う」は他動詞。

一方、本来「泣く」は自動詞で、「君を泣く」というのは自動詞を他動詞として扱っていることに気が付きます。

「君死にたまふことなかれ」は、七五調で書かれています。

したがって5文字に整えるために「君を泣く」という簡潔な表現がとられたものと思われますが、やはりこの詩のこの部分に特徴的な表現といえるでしょう。

ただし、ここのところは「ああ、弟よ君を泣く」の「弟」に続く表現であって、「君を泣く」単独ではないということです。

もし仮に「君に泣く」であれば、作者が一人で泣いているかのような印象になりますが、「君を泣く」は相手への直接の呼びかけであり、相手に真っすぐ向かい合い、この言葉を投げかけるようなニュアンスがあります。

 

「君を泣く」の与謝野鉄幹の短歌

そして、「君を泣く」の表現についてさらに言えば、これに先行すると思われる与謝野鉄幹の下のような短歌があります。

君を泣き君を思へば粟田山(あわたやま)そのありあけの霜白く見ゆ

与謝野鉄幹 『相聞』(あいぎこえ)より。1910年刊。

この「君を泣く」の「君」とは、与謝野晶子と共に『明星』に投稿した歌人山川登美子です。

登美子は鉄幹と与謝野晶子との結婚前とその後も鉄幹と深い関係があったとされていますが、若くして結核で亡くなりました。

その知らせを受けた鉄幹が詠んだ嘆きの歌が上の歌になります。

粟田山は晶子と登美子3人で、後には晶子には秘して登美子と鉄幹が二人で時間を過ごした場所でした。

『明星』の歌人である登美子の詩には、主催者である鉄幹はもちろん晶子も追悼の歌を発表。

恋のライバルとはいえ、鉄幹の歌には必ず目を通していますので、「君を泣く」はあるいは、これらの印象に強かった歌の句が『君死にたまふことなかれ』に受け継がれた可能性もあると思われます。

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与謝野鉄幹の代表作短歌

与謝野鉄幹「君を泣く」の本歌の背景

君なきか若狭の登美子しら玉のあたら君さへ砕けはつるか

この歌は山川登美子を追悼する与謝野転換の短歌として有名なものですが、いくらか装飾的な印象を受けます。

むしろ最初の「君を泣き君を思へば粟田山(あわたやま)そのありあけの霜白く見ゆ」の方が、鉄幹の心情がうかがえます。

また他にも、

君亡しと何の伝(つて)ごと 死にたるはおそらく今日の我にはあらぬか

この君を弔ふことはみづからを弔ふことか 濡れて歎かる

という、あたかも登美子と一心同体であるかのような不思議な印象の歌を作っています。

「伝ごと」というのは、電報で登美子の詩の知らせを受け取ったということなのですが、深い関係にあったとはいえ与謝野晶子が奥さんなのです。

あたかも登美子が肉親の一人であり、まるで自分が死んだようだという表現からは鉄幹の衝撃の強さがうかがえます。

それを集約する一つが「君を泣き」の表現です。これは単なる修辞句ではなく、鉄幹の文字通りの涙であったでしょう。

そうしてみると、「君を泣く」には登美子の死と想定する弟の死の両方がダブルイメージとして浮かび上がってきます。

ただし、作品としては、与謝野晶子の詩は長文であり累々と続く詩句に受ける意志の強さは短歌一首の比ではありません。

また、一歌人の死と比べれば戦地に人を送る家族の嘆きは今も昔も普遍的なものです。

それは、詩と短歌の違いだけではなく、やはりたぐいまれなる与謝野晶子の才能の集結したものだといえるでしょう。




-与謝野晶子

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