いたつきの癒ゆる日知らにさ庭べに秋草花の種を蒔かしむ 正岡子規  

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いたつきの癒ゆる日知らにさ庭べに秋草花の種を蒔かしむ 正岡子規

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いたつきの癒ゆる日知らにさ庭べに秋草花の種を蒔かしむ

正岡子規の代表作ともいわれる有名な短歌にわかりやすい現代語訳を付けました。

各歌の句切れや表現技法、文法の解説と、鑑賞のポイントを記します。

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いたつきの癒ゆる日知らにさ庭べに秋草花の種を蒔かしむ

 

読み:いたつきのいゆるひしらに さにわべに あきくさばなの たねをまかしむ

作者と出典

正岡子規 『墨汁一滴』 初出新聞「日本」

現代語訳

病気の治る日もわからないが、庭に秋の草花の種をまかせた

句切れと表現技法

句切れなし

文法と語句の解説

・いたつき…病気

・癒ゆる…基本形「癒ゆ」の連体形

・さ庭べ…「さ」は接頭語。「べ」は「あたり」の「辺」。「窓辺」などに同じ。

・秋草花…秋の草花を短く言ったもの

・蒔かしむ…「しむ」は使役の助動詞

 

解説

正岡子規の『墨汁一滴』に「しひて筆をとりて」と詞書した十首のうちの一首。

初出は明治34年の日本新聞。

いずれの歌も、花や植物の持つ時期に照らして、みずからの命の短さを詠う。

結核で病臥の正岡子規

正岡子規は結核に罹患、下半身の神経に支障が生じて歩行が困難となっており、ほぼ寝たきりの状態で日々を過ごしていた。

植物をスケッチするのが楽しみであったため、庭には多くの植物が植えられ鑑賞が可能なようになっていた。

「癒ゆる日知らに」の意味

病状は重病であり、

痛の烈しい時には仕様がないから、うめくか、叫ぶか、泣くか、又はだまってこらへて居るかする―『墨汁一滴』

という状態であった。

常の人のようにいつまで生きられるかの見通しは全くないため、「癒ゆる日知らに」となっているが実際は「いつ死ぬかもわからない」というのと同義である。

そのような状態でこれより先の花の季節の種を蒔いてもらうのだが、そのような近い未来を思い描くにつけ、またいっそう自分の命の短いことが思われるのだった。

 

伊藤左千夫の評

伊藤左千夫はこの一連を取り上げて

見るも涙の種なれども、道のためとて掲げぬ。且完璧の連作の歌なればなり

と激賞した。

一連の歌 10首

この歌を含む一連は、いずれも短い命の作者が春を惜しむ気持ちにあふれている。

佐保神の別れかなしも来ん春にふたたび逢はんわれならなくに

いちはつの花咲き出でて我が目には今年ばかりの春暮れんとす

病む我をなぐさめがほに開きたる牡丹の花の見れば悲しも

世の中は常なきものと我が愛づる山吹の花散りにけるかも

別れゆく春のかたみと藤波の花の長ふさ絵にかけるかも

夕顔の棚つくらんと思へども秋待ちがてぬ我がいのちかも

くれなゐの薔薇ふふみ我が病いやまさるべき時のしるしに

薩摩下駄足にとりはき杖つきて萩の芽つみし昔思はゆ

若松の芽だちの緑長き日を夕かたまけて熱いでにけり

いたつきの癒ゆる日知らにさ庭べに秋草花の種を撒かしむ

 

正岡子規の短歌代表作はこちらの記事に

正岡子規の短歌代表作10首 写生を提唱




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