教科書の俳句

雪とけて村いっぱいの子どもかな 小林一茶 季語と情景解説

雪とけて村いっぱいの子どもかな

教科書・教材にも使われる小林一茶の有名な俳句の意味、季語など表現技法、句の意味の解説を記します。

雪とけて村いっぱいの子どもかな【俳句解説】

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読み:ゆきとけて むらいっぱいの こどもかな

作者と出典:

小林一茶

現代語訳

雪がとける春になると 家にいた子どもたちがいっせいに外へ出てきて 村いっぱいになっている

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切れ字と句切れ

・句切れなし

・切れ字「かな」

季語

季語は「雪解け」 春の季語

有季定型

 

解説

小林一茶のふるさとの雪の日の村を詠んだ俳句。

小林一茶の故郷は雪の降る信州で、各地を旅した後に故郷に定住した。

有名な

これがまあ終の棲家か雪五尺

がその時の句であり、雪は一茶にとってなじみの深いものであった。

俳句の情景

一句は春の到来と喜びを子どもの数によって表したもの。

春が来て雪がとけ始めると、それまで家にこもっていた子どもたちが大よろこびで外に出てくる。

それまでの季節は子どもばかりでなく大人であっても、外で出会っても口数が少ない様子は下の句を見る通り。

雪の日や古郷人もぶあしらひ

「村いっぱい」の促音のリズムに喜びに跳ねる子どもの姿がほうふつとする。

その喜びは無論村のすべての人に共通するものであった。

表現技法

一首の構成を下のように考えてみよう。

「雪とけて」の時間経過

「雪とけて」で季節と現象の提示と次に起こることの理由が置かれる。

「雪とけて」は、それまで積もっていた雪がとけるのであるから、冬から春にかけての長いスパンの時間が示されている。

「村いっぱいの」の省略

「村いっぱいの」は主に数を表す表現だが、この部分には「子どもが○○した」についての省略がある。

ここで子どもがしていることは次のように思い浮かべられるだろう。

・家から出てくる

・外で遊んでいる

その一番は、やはり村のいたるところに子どもの姿があるという情景といえる。

「いっぱい」のには子どもの動きを表すものはないが、初句の「雪とけて」の時間性ともに「家から外へ」の子どもの移動が含まれている。

それらのことが思い浮かべられると、一句が静的なものではなく動的なものとなる。

「子どもかな」の結句の「子ども」の位置

この句の構成として結句の「子ども」に集約がなされている。

たとえば

雪溶けて子どもがいっぱい外へ出た

と比べてみよう。

「雪とけて村いっぱいの子どもかな」と結句に子どもを置くと天候の変化、季節の変化、情景の変化、それらの焦点が「子ども」に集約される。

「雪」はない

おもしろいのは、「雪」はこの情景にはない事物である。

村全体を真っ白に包んでいた雪は、春となってまるで子どもと入れ替わったような効果が、句の構成と語順によって示されていることがわかる。

一句の背景

小林一茶と村、子どものかかわりの背景は以下のように考えられる。

小林一茶と故郷

一茶にとって故郷とその人々はけっして心に相容れるものではなかった。

一茶の母は継母で折り合いが悪く子どもの時に家を出て以来、弟とは遺産問題で対立、村人も風変わりな僧侶である一茶には冷たかったようだ。

子どもはおそらく村にあって、一茶が警戒をせず接することのできる相手だったのだろう。

小林一茶と子供

小林一茶の句には子どもが主題になるものが多いが、一茶自身は、遅くしてできた子供を亡くすという不幸に見舞われている。

一茶の句に子どもが詠まれているのにはそのような背景もあるだろう。

一茶の俳句の感想

筆者自身のこの俳句の感想を記しておきます。

この句の情景を下のように想像しました。子を背中に背負って親と十五夜の見事な月を眺める月見をしている。親が「月だよ きれいだねえ」と子どもに見せると、幼い子どもが月に顔を向けながらしきりに何かのそぶりをする。「なんだい、なんだい、取ってほしいのかい」と親がいっている間に子どもがぐずって泣き出す。子どもが泣いたのは月のためかはわかりませんが、親子を包むかのように光を降り注いでいる月の光は、さぞ美しかったに違いありません。

小林一茶の他の俳句

雀の子そこのけそこのけお馬が通る

名月を取ってくれろと泣く子かな

やれ打つな蠅が手をすり足をする
おらが世やそこらの草も餅になる
菜の塵や流れながらに花の咲く
かすむ日や目の縫われたる雁が鳴く
猫の子がちょいと押さえる落葉かな
慈悲すれば糞をするなり雀の子
あこが餅あこが餅とて並べけり
鳴く猫に赤ん目をして手まりかな
麦秋や子を負ひながらいわし売り
とうふ屋が来る昼顔が咲きにけり
うまさうな雪がふうはりふわりかな
これがまあ終(つい)のすみかか雪五尺
春風や牛に引かれて善光寺
めでたさや中位なりおらが春
やせ蛙負けるな一茶これにあり
やれ打つなはえが手をする足をする
我と来て遊べや親のない雀

小林一茶について

こばやし‐いっさ【小林一茶】1763〜1828

江戸後期の俳人。名は信之。通称弥太郎。芭蕉、蕪村と並ぶ江戸の三大俳人の一人。

14歳の春、江戸に出て葛飾派の二六庵竹阿に俳諧を学びの地諸国を行脚。故郷に定住するが母や妻の死の不幸の中で21200句もの句を詠んだ。子どもを詠んだ柔らかい印象の句の他、屈折した俳句を詠んだことにも特徴がある。




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