つれづれの友となりても慰めよ 行くことかたきわれにかはりて 貞明皇后の和歌をめぐって  

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つれづれの友となりても慰めよ 行くことかたきわれにかはりて 貞明皇后の和歌をめぐって

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貞明皇后の和歌が22日の朝日新聞のハンセン病療養所の壁に書き込まれていたものを写した写真が見つかりました。

和歌は当時監禁施設に収容されていた入所者が記したものと思われます。

貞明皇后の御歌と明石海人の返歌をご紹介します。

貞明皇后の和歌

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朝日新聞で取り上げられた皇后の御歌は以下の作品です。

つれづれの友となりても慰めよ 行くことかたきわれにかはりて

昭和7年11月10日に貞明皇后が大宮御所での御歌会で読まれた御歌で、「癩患者を慰めて」(注:当時の表現のまま)という詞書があります。

その後全国のハンセン病療養所にこの歌を刻んだ石碑が建立されたとありますので、入所者はそれを壁に筆写したものと思われます。

和歌が記された場所

今回この歌が見つかったのは、岡山県ハンセン病療養所である長島愛生園の監禁施設の監房の部屋の壁の写真300枚に含まれるものです。

撮影は70年代とされ、カメラマンの趙根在(チョウグンジェ)さんが撮影。

その壁を撮影した写真にこの歌の一部分が読み取れました。

これを記した入所者はどのような思いを持って、この歌を壁に記したのでしょうか。

まずは皇后の和歌の意味を考えてみましょう。

 

つれづれの友となりても慰めよ行くことかたきわれにかはりて

「つれづれの」というのは、「長々と。そのままずっと」の意味。

「そのように病者の友となって慰めてあげてください。お見舞いに行くことも難しいこの私に代わって」というのが歌の全体の意味です。

この歌は、入所者に向かって詠まれたものではなく、長島愛生園の医長であった光田健輔氏に向けての言葉であったようです。

(出典:「ハンセン病隔離施設」を後押ししたのは皇室だ

 

貞明皇后とは

貞明皇后は、大正天皇の皇后で、旧名は九条節子(くじょうさだこ)。

生涯にわたって数多くの和歌を詠まれた他、漢詩も多く作っておられ、それらの作品は歌集にまとめられています。

貞明皇后とハンセン病

貞明皇后とハンセン病のかかわりは、蚕糸業の奨励、灯台守の支援と共に生涯の福祉事業となりました。

しかし、一方でハンセン病の隔離政策を後押ししたとして批判を述べる意見も多くあります。

背景を理解するのには知識が必要なので一概には言えませんが、隔離政策が誤りであったにしても、「当時このような御歌が詠まれたことは、日本のハンセン病の歴史の中で画期的なことであった」として紹介している園のHPもあります。(出典:国立療養所栗生楽泉

あくまで私の推測ですが、入所者がこれを壁に記したのは、皇后さまが自分たちを気にかけてくれているという希望と、そしてそのように待遇を改善してほしいという願いがあったと思われます。

 

貞明皇后の歌への返歌

思い出されるのは、同じく長島愛生園に療養していたハンセン病を患った歌人明石海人の次の短歌です。

そのかみの悲田施薬のおん后今も坐すかとをろがみまつる

みめぐみは言はまくかしこ日の本の癩者に生れて我が悔ゆるなし

これらの歌には、

皇太后陛下、癩患者御慰めの御歌並びにお手許金御下賜記念の日、遙かに大宮御所を拝して

との詞書があります。

「癩患者御慰めの御歌」というのが、最初にあげた皇后の御歌「つれづれの友となりても慰めよ行くことかたきわれにかはりて」です。

そのようなお言葉をかけてくださったとして「日の本の癩者に生れて我が悔ゆるなし」というのは、大変に強い表現です。

明石海人の短歌 歌集「白描」より

明石海人の返歌について

明石海人の歌については、作家大原冨枝が「忍びてゆかなー津田治子の生涯」において、疑義を述べている部分があります。

要はこの歌のくだりを「嘘だ」と主人公の津田治子に言わせているのです。

この本は津田の生涯を詳しく追ったものでたいへんおすすめの本なのですが、このくだりの部分はやはり残念です。

短歌においては「嘘」は存在しません。

ましてや、明石海人や津田治子のように、病の極みにあって文字通り命がけで詠まれる歌に嘘があろうはずはないのです。

それ以前に文学において、嘘か真かは論じるべきポイントではなく意味のないことです。

上記の本では、津田治子が「嘘だ」といったこと自体が小説であり、架空の話だからです。

津田治子の生涯と短歌

 

明石海人の返歌の真意

ここで一番大切なのは、貞明皇后が御歌会で上記の歌を詠まれたということ、さらに明石海人がそれに返歌というべき上の歌を詠んだということです。

当時としては今よりももっと身分が高いと思われている皇后さまへの一般民衆からの返歌です。

療養所という隔離された空間にあって、まして当時日本で一番偉いとみなされている皇后にも、歌で通じる道がある。

これが双方向性といわれるものですが、明石海人がどのように気負ってこの歌を詠んだのか、その背景にあった心情はやはり真(まこと)のものでしょう。

それを可能にしたのが、歌の上での問答というまた日本の和歌の歴史に根差すものでもあるのです。

貞明皇后の歌の記された意味

そして、それを監房の壁に記した入所者もそれを記すことでまた、自分の思いを表現したといえるでしょう。

それはもちろん明石のような賛嘆や感謝だけではありません。

「皇后さまがそう言ってくださった。友であれよと呼びかけられたにも関わらず、私はなぜ今この監房にいるのか」

懲罰を受けている入所者には反論の機会もなく、反抗ももちろん許されてはいませんでした。

それらの事実を知る時に、この歌そのものよりも、歌の記された悲しい意味に思い当たるのです。




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