ひともとと思ひし菊を大沢の池の底にもだれか植ゑけむ 紀友則  

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ひともとと思ひし菊を大沢の池の底にもだれか植ゑけむ 紀友則

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ひともとと思ひし菊を大沢の池の底にもだれか植ゑけむ   作者、紀友則の和歌の現代語訳と句切れ、語句を解説、鑑賞します。

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ひともとと思ひしきくを大沢の池のそこにもたれかうゑけむの解説

読み:ひともとと おもいしきくを おおさわの いけのそこにも たれかうえけん

現代語訳と意味

一本だけが咲いていると思っていた菊のが大沢池の底にも咲いているのは誰が植えたのだろう

作者と出典

紀友則 古今和歌集巻5 秋歌下 275

紀友則の代表作は

句切れと修辞

・句切れなし

歌の語句と文法

  • ひともと・・・一本
  • 思ひし・・・「し」は過去の助動詞基本形「き」の連用形
  • おほさわ・・・池の名前の固有名詞
  • たれか・・・「誰か」の清音
  • うえけむ・・・「けむ」は過去の推量の助動詞

和歌の解説

889年ごろの菊合(きくあわせ)の席で実景ではなく、大沢池を模した箱庭にを詠んだ歌。

大沢の池をかたどった箱庭の州浜に菊が植えてある、その菊を指して詠んだと思われる。

歌の内容

池の水面に映る菊の花は、池の外に咲いている花が、単に池の水の表面に移って見えているということで実在の花ではない。

それを「この池の底にも菊が咲いている。誰が咲かせたのか」と問いかけているのが歌の内容となる。

箱庭と作歌の自由性

この歌は箱庭を詠んだものだが、菊の花の配置は箱庭の中なら自由に決められる。

今の言葉でいうジオラマだが、ジオラマには製作者がおり作者自身が趣向を凝らすことができる。

池の外にあるべき花が、池の底にある、あるいは変な配置であるという揶揄もあったのかもしれないが、その自由性を「池そこにもたれかうえけむ」として、箱庭とその作者の存在を暗示したのだろう。

大沢の池とは

大沢の池は現在の京都市左京区嵯峨大覚寺の近くにある池のことで、菊が自生する菊ヶ島と呼ばれる島があった。

嵯峨天皇が自生していた野菊を手折って花瓶に挿した。

それが生け花の嵯峨御流の元となったことを、ピーター・マクミランが「星の林に」(朝日新聞コラム)で紹介している。

この和歌の感想

歌単体だけを読んでみると、作者が池の傍に立って池の底を覗いているかのような動作がうかがえる。

この問いの答えを生真面目に言えば「いいえ、あれは水面に映った菊ですよ」というものとなるのだが、歌という仮想の空間は「池の底から水面に向かって咲く菊」という情景を提示している。

「ひともとと思ひし菊」は、ここにだけある一本の菊が箱庭の他の場所にもあるということなのかもしれないが、私たちが背景を知らずにこの歌を読めば、「ひともと」の打消しにより一本ではなく無数の菊ともとることができる。

歌の情景からあるいはまるでモネの池のような、水の中に花が咲き魚が泳ぐ不思議な空間を思い浮かべることもできるだろう。

水の中に世界があるというファンタジーは浦島太郎の竜宮伝説にもあるように普遍的なイメージでもあるのかもしれないことも思い起こさせる。

生け花も「天・地・人」を合わせて、一つの世界を表現、万物の美しさを鑑賞するのが目的の造形物である。

ただし、実際の歌はそこまでの深い意味はなく、箱庭の情景の特徴を捉えて読まれた歌で、そこに作者の遊び心を反映したというところだと思われる。

紀友則の歌人解説

紀友則(き の とものり)

生年は不明、承和12年(845年)ごろとされる。

平安時代前期の官人・歌人。宮内権少輔・紀有友(有朋)の子。紀貫之はいとこにあたる。

和歌には巧みで多くの歌合に出詠。紀貫之、壬生忠岑と共に『古今和歌集』の撰者。

古今集に47首、『後撰和歌集』『拾遺和歌集』などの勅撰和歌集に計64首入集。三十六歌仙の一人。

百人一首に入集した歌「久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ」が代表作品。

紀友則の他の和歌

久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ(古今84)

色も香もおなじ昔にさくらめど年ふる人ぞあらたまりける(古今57)

雪ふれば木ごとに花ぞ咲きにけるいづれを梅とわきて折らまし(古今337)

東路のさやの中山なかなかに何しか人を思ひそめけむ(古今594)




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