さ夜中と夜は更けぬらし雁が音の聞こゆる空に月渡る見ゆ 万葉集の柿本人麿歌集の有名な和歌の現代語訳、解説と鑑賞を記します。
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さ夜中と夜は更けぬらし雁が音の聞こゆる空に月渡る見ゆ
読み さよなかと よはふけぬらし かりがねの きこゆるそらに つきわたるみゆ
作者
柿本人麿歌集 万葉集 9巻 1701
現代語訳
夜が更けて雁の鳴きつつ飛ぶ空に、月が照っているのが見える
句切れと修辞
- 2句切れ
語と文法
- さ夜中・・・「さ」は接頭語 調子を整える野にも使う
- 更けぬらし・・・「ぬ」は完了の助動詞 「らし」は推量の助動詞
- 月渡る・・・月が秋の夜空を渡ること 通り過ぎていくこと
解説と鑑賞
柿本人麻呂歌集の中にある弓削皇子(ゆげのみこ)に献った歌三首中の一つの和歌。
詞書
「弓削皇子(ゆげのみこ)に献(たてまつ)る歌三首」
弓削皇子は:天武天皇の皇子
原文
佐宵中等夜者深去良斯鴈音所聞空月渡見
和歌の構成
和歌の全体の構成と表現をたどる
「月渡る」
「月渡る」は単に月があるというのではなく、月が動くものとしてとらえた表現で、時間の経過を含む。
空を月が「傾きかかる」という意味だと斎藤茂吉が解説している。
雁は当然空を飛んでいるわけで「渡る」は雁の動きともつながりがある。
聴覚と視覚
2句切れでまず時間を示し、聴覚でとらえた雁の声、視覚でとらえた月の動きをそれぞれ「聞こゆる」「見ゆ」と明確に表現している。
時間の経過に加えて、月渡る空の空間の広さも表されている。
上句の結論
上句の「さ夜中とよは更けぬらし」は「夜が夜中になるまで更けたらしい」という気づきであるが、それを導くのが下句の「雁が音」と「月」の情景である。
これらを見聞きすることで帰納的に「夜は更けたのだなあ」という結論が得られるのだが、その結論が先に置かれ、その気づきを裏付ける具体的な事項が下句に示される形となっている。
「らし」の意味
西沢一光は
「らし」の文字化によって、聴覚・資格による感覚的世界全円の描出が可能になっているのである。―出典『万葉の歌人と作品』
として「らし」の文字化を重要視している。
「らし」はまた判断をする主体の存在をも示しており、読み手は「われ」の視点に立ちながらさらに「われ」と「雁」「月」を包括する視点を有することとなってこの歌を読むことになる。
このような不思議な入れ子構造が和歌の醍醐味の一つであるだろう。
斎藤茂吉の評
斎藤茂吉の万葉秀歌によると
ありのままに淡々といい放っているのだが、決してただの淡々ではない。これも本当の日本語で日本的表現だということも出来るほどの、流暢にしてなお弾力を失わない声調である。―斎藤茂吉『万葉秀歌』より
他の歌
1701: さ夜中と夜は更けぬらし雁が音の聞こゆる空ゆ月渡る見ゆ
1702: 妹があたり繁き雁が音夕霧に来鳴きて過ぎぬすべなきまでに
1703: 雲隠り雁鳴く時は秋山の黄葉片待つ時は過ぐれど
一首の主題は雁にあることがわかる。
2首目は相聞の歌。