「世界はうつくしいと」長田弘【解説】  

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「世界はうつくしいと」長田弘【解説】

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「世界はうつくしいと」は詩人長田弘の詩で、国語の教科書に掲載されています。

「世界はうつくしいと」の詩の表現技法、詩の種類と作者が伝えたいことをまとめます。

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「世界はうつくしいと」の概要

この詩は、現代の詩人長田弘(おさだひろし)の作品です。

詩の種類は現代の言葉で韻律や字数にとらわれないで書かれた「口語自由詩」で、表現技法は反復法 省略法 反語などがみられます。

詩の構成は連を持たない形式で書かれています。

なお、この詩と同名の詩集「世界はうつくしいと」は2010年、三好達治賞を受賞しています。

 

「世界はうつくしいと」の詩の全文

「世界はうつくしいと」の詩の全文です。

「世界はうつくしいと」 長田弘

うつくしいものの話をしよう。
いつからだろう。ふと気がつくと、
うつくしいということばを、ためらわず
口にすることを、誰もしなくなった。
そうしてわたしたちの会話は貧しくなった。
うつくしいものをうつくしいと言おう。
風の匂いはうつくしいと。渓谷の
石を伝わってゆく流れはうつくしいと。
午後の草に落ちている雲の影はうつくしいと。
遠くの低い山並みの静けさはうつくしいと。
きらめく川辺の光りはうつくしいと。
おおきな樹のある街の通りはうつくしいと。
行き交いの、なにげない挨拶はうつくしいと。
花々があって、奥行きのある路地はうつくしいと。
雨の日の、家々の屋根の色はうつくしいと。
太い枝を空いっぱいにひろげる
晩秋の古寺の、大銀杏はうつくしいと。
冬がくるまえの、曇り日の、
南天の、小さな朱い実はうつくしいと。
コムラサキの、実のむらさきはうつくしいと。
過ぎてゆく季節はうつくしいと。
きれいに老いてゆく人の姿はうつくしいと。
一体、ニュースとよばれる日々の破片が、
わたしたちの歴史と言うようなものだろうか。
あざやかな毎日こそ、わたしたちの価値だ。
うつくしいものをうつくしいと言おう。
幼い猫とあそぶ一刻はうつくしいと。
シュロの枝を燃やして、灰にして、撒く。
何ひとつ永遠なんてなく、いつか
すべて塵にかえるのだから、「世界はうつくしいと」。

 

「世界はうつくしいと」の詩の種類

この詩の種類は、口語自由詩です。

詩の種類

他にも詩の種類としては、

・口語詩:現代の言葉で書かれた詩
・文語詩:昔の言葉で書かれた詩
・定型詩:字数(音数)や句の数、配列などに一定の決まりがある詩
・自由詩:字数(音数)などに決まりがない詩

があります。

口語で書かれた自由詩が、口語自由詩。

文語で書かれた定型詩が、文語定型詩です。

短歌や俳句など字数が決まっているものは、文語定型詩に入りますし、五七調の詩も定型詩です。

※形式について詳しくは
詩の形式 種類と見分け方 口語自由詩・文語定型詩など

詩の構成

この詩は連という行間で区切る部分がありません。

これにも作者の意図があると思われます。

「世界はうつくしいと」の表現技法

「世界はうつくしいと」 表現技法としてあげられるものは下の5つです。

  • 反復法
  • 省略

反復法

反復法とは、同じ言葉もしくは似た言葉を繰り返した表現をいいます。

リフレインともいい、歌謡にも多く使われます。

この詩では多く「世界はうつくしいと」が反復されています。

省略法

省略は、主語や述語、修飾語など文章の一部を省略して文を書く技法です。

この詩では「世界はうつくしいと」はその先に続く述語がなく、その後の言葉が省略されていますので、何が入るか考えてみてください。

※表現技法について詳しくは
詩の表現技法6つ

反語

反語というのは、本来の意味とは反対の意味を含ませる表現法をいいます。

「だろうか」の後「いや、そうではない」という言葉が入ると考えられます。

このような表現ぐ軍が反語に当たります。

※反語について詳しくは
反語を使った表現 古文・古典短歌の文法解説

「世界はうつくしいと」で作者が伝えたい内容

この詩で作者が伝えたいものは何かをまとめます。

作者の読者へのメッセージ

作者が伝えたいのは「うつくしいものをうつくしいと言おう」という読者に向けられたメッセージです。

そして、作者が考える美しいものがたくさん並べられていきます。

「うつくしいもの」の例

「うつくしいもの」としてあげられているものは、特別なものではなく、すべてが日常の中で私たちが見るもの、出会うものばかりです。

また特別な時にしか見るものではなくて、むしろ毎日見ているのだけれども、その魅力と美しさを見過ごしているようなものが並んでいます。

「うつくしいといおう」とする理由

作者はこれらのものを毎日見て当たり前のように思っていることが、実はとても美しいのだという事実を、価値あるものとして教えてくれています。

またそれらの価値を表すために、反語として下の部分があげられます。

一体、ニュースとよばれる日々の破片が、
わたしたちの歴史と言うようなものだろうか。

ニュースというのは、新聞やテレビで流れる日々の出来事です。

報道されることはおおむね事件の類ですので、必ずしも美しいものではなく、むしろ心を痛めるような悲惨な出来事も並んでいます。

「あざやかな毎日」の対比

あざやかな毎日こそ、わたしたちの価値だ。

それら報道される対外的な出来事は、けしてわれわれの生の本質ではなく、それを並べても自分自身の歴史にはならないというのが作者の啓発です。

「ニュース」に対置するのが「あざやかな毎日」です。

その内容が「うつくしいと」の前に置かれている、日常のものにほかなりません。

「毎日」は時間のどこか一点ではなく、継続的なものであり、いつでも、うつくしいものは身の回りにあり、それらがあざやかな毎日として、私たちの歴史を作っていく。

だから、そのうつくしいものに目を向けようというのが作者の伝えたいいちばんのことと言えます。

「世界はうつくしいと」の最後の部分

さらに、最後に作者の言うのが下の部分です。

シュロの枝を燃やして、灰にして、撒く。
何ひとつ永遠なんてなく、いつか
すべて塵にかえるのだから、「世界はうつくしいと」。

塵にかえるの意味

シュロは棕櫚と書く、多く盆栽や庭木などに用いられる植物です。

作者はこれを燃やして、その灰を目にする機会があったのでしょう。

そこから連想したのが「塵にかえる」です。

「塵にかえる」は元は聖書の言葉で、すべて物事には終りがあるということを表すと同時に、人の命には限りがあるということを示しています。

この詩の構成の意味

この詩の構成は、うつくしいものの列記のあとに「塵にかえる」が示されます。

つまり、たくさんのたくさんのうつくしいものとその経験のあとに人の死や終りがあることを表しています。

生まれてから死ぬまで、人は誰しも美しいものやことをたくさん経験する、それが人の一生の歴史であるということです。

この詩そのものが、あるいは人の一生の歴史の体現といえるかもしれません。

この詩が連による区切りを持たず、「うつくしいと」の反復で続くのも、詩の時間性を表すものだと思います。

この詩においては、詩の時間がそのまま人の生を映しているのです。

人との会話

また、この詩のもう一つのポイントは、自分ひとりで美しさを見出そうということではありません。

見付けたものを言葉にして「言おう」ということは、そこにおのずから他者の存在があることになります。

美しいと口に出して誰かにそれを言うことで、人との会話を豊かにしようというのも、作者がもう一つ伝えたいことです。

この”詩の場”においては、詩そのものが、作者と読者の会話です。

たくさんのうつくしいものを読者に示すことで、詩による豊かな会話をしようというのも、この詩の目的であり、詩が生まれる動機そのものでしょう。

作者長田弘について

長田 弘 (おさだ ひろし、1939年11月10日 - 2015年5月3日)

福島生まれ、早大独文科卒。詩人、児童文学作家、文芸評論家、翻訳家、随筆家

早大独文科卒。大学在学中から詩を書き始め、第1詩集『われら新鮮な旅人』(1965年)で注目された。

平易で温かみのあることばで平和や日常の大切さを綴る作風で読者層を広げた。

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