今日の間の心にかへて思ひやれながめつつのみすぐす心を
『和泉式部日記』、平安時代の女流歌人の和泉式部が記した日記の「夢よりもはかなき世の中に」の中に出てくる和歌の現代語訳と解説を記します。
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今日の間の心にかへて思ひやれながめつつのみすぐす心を
読み:きょうのまの こころにかえて おもいやれ ながめつつのみ すぐすこころを
作者:女(和泉式部)
歌の現代語訳と意味
今日とおっしゃるその間に生じた嘆きの心に代わって、私の心を思いやってください。
こうして外を眺めながら、どこにも出かけられないで過ごしている、私の心を。
句切れと修辞
- 3句切れ
- 倒置法
文法の解説
一首の文法と主要部分の品詞分解です。
間の…「間」の意味は「連続している事と事のあいだの時間。ひま。いとま。」
かへて…「代えて」。「今までしていたのをやめて、新たに同じことを行う」の意味
思いやれ…命令形。動詞の基本形「思いやる」。意味は「 他人の身の上や心情を推し量って、同情する。また、配慮する」。
ながめつつのみすぐす心を の品詞分解
- ながめ…基本形「ながむ」の連用形
- つつ… 「動作・作用が今も進行・継続していること,ある動作・作用が繰り返し行われることを表す」
- のみ…副助詞 「だけ。ばかり」
- すぐす…動詞「過ごす」のウ音便 連体形
解説
先の帥宮の歌「うち出ででもありにしものをなかなかに苦しきまでも嘆く今日かな」の、最後の「今日」を復唱、それに続ける形で、「今日の間を」と初めています。
さらに、帥宮の「嘆く今日かな」の「心にかへて」というのは、「その嘆きの心に代えて」の意味ですので、「嘆かなくてもよいですよ」という意味合いを含みます。
その点、「私も気持ちがある。まんざらでもない」という意味にもとれます。
そして、自分が、宮の逝去後のつまらない、変りばえのしない退屈な日を過ごしていることを、強く訴えています。
その私を「思いやってください」というところで、相手の接近を許しているというようにも取れる内容です。
「今日の間の」の歌の背景とあらすじ
「夢よりもはかなき世の中を」の冒頭は
(原文)夢よりもはかなき世の中を、嘆きわびつつ明かし暮すほどに、四月十余日にもなりぬれば、木の下暗がりもてゆく。
(現代語訳)夢よりもはかない世の中を、嘆きながら暮らしているうちに4月10日も過ぎることとなり、木下も茂る葉陰で、暗く見えるようになった。
というもので、これが日記の始まりです。
こうして、4月の青葉を眺めている所に、帥宮の使いが橘の花をもってやってくるところから、二人のやりとりが始まります。
橘の花の返事に和泉式部と思われる「女」が、使いの者に歌の手紙を渡します。
それが一首目「薫る香によそふるよりはほととぎす聞かばやおなし声やしたると」。
次に、男性である帥宮がこれに、初めて和歌を送るのが「おなじ枝に鳴きつつをりしほととぎす声は変らぬものと知らずや」の歌です。
ところが、それに、歌を贈った相手である和泉式部は返事をよこしません。
和泉式部である主人公の「女」は「をかしと見れど」、つまり「興味を引かれたけれども」、「常はとて御返り聞こえさせず」、つまり、いつも返事をするのはどうかと思って、今回は返事をしないでいると、帥宮が落胆して、「うち出ででもありにしものをなかなかに苦しきまでも嘆く今日かな」の歌を重ねて送ります。
それに対して、今度は「女」が返答して送り返したのがこの歌です。
この歌が、「夢よりもはかなき世の中に」の文の結びであり、最後の歌となります。
「和泉式部日記」について
和泉式部日記は、平安時代中期の女流歌人、和泉式部(いずみしきぶ)が記した作品です。
内容は、1003年(長保5)4月から翌1004年1月にかけて、和泉式部と帥宮敦道(そちのみやあつみち)親王との恋愛の経緯を、歌物語風につづったもの。
重要なのは、その中に含まれる147首もの和歌作品です。優れた歌人である和泉式部のその贈答歌のやりとりで二人の心情を浮き立たせるものとなっています。
「夢よりもはかなき世の中」のまとめ
「和泉式部日記」の冒頭「夢よりもはかなき世の中」を読むと、最初から、まだ会って会話もしていないのに、帥宮と和泉式部とが、和歌で、あたかかも会話をするように、自らの思いを微妙なところをこめて表現をしていることが分かります。
これを以て「和泉式部日記」がどんなものか。そして、平安時代の高度なコミュニケーションである贈答歌がどのようなものかが伝わると思います。
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