世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる
皇太后宮大夫俊成こと、藤原俊成百人一首83番にも採られた、代表作和歌の現代語訳、修辞法の解説、鑑賞を記します。
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世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる
現代語での読み: よのなかよ みちこそなけれ おもいいる やまのおくにも しかぞなくなる
作者と出典
皇太后宮大夫俊成 藤原俊成(ふじわらのとしなり)
百人一首83番 『千載集』雑・1148
現代語訳と意味
ああこの世、世俗を離れるべく思いつめて入り込んだ山の奥にも、鹿が悲しげに鳴いているようだ。
句切と修辞法
- 初句切れ
- 「道こそなけれ」と「鹿ぞ鳴くなる」は係り結び
※係り結びについては
係り結びとは 短歌・古典和歌の修辞・表現技法解説
語句と文法
- 世の中よ…「よ」は感嘆詞
- 道…方法、手段を意味する
- 思い入る…「思い」で切れ、「入る」を続けている。「思って入る」の意味か
係り結び
- 道こそなけれ…「こそ…けれ」。「けれ」は「けり」(詠嘆の助動詞)の已然形
- 鹿ぞ鳴くなる…「ぞ…なる」。「なる」は「なり」(状態・性質を表す助動詞)の已然形
解説と鑑賞
百人一首83番に入集している俊成の代表的な作品のひとつ。
初句で、「世の中よ」で句切れがあり、深い詠嘆の気持ちを表す。
世の中の辛さを逃れ出ようと思っても、逃れるべく入った山の中にも、鹿の声、それも痛切な痛苦の声が聞こえる。どこにも逃れるすべがないという嘆きを表す歌となっている。
「道」の意味
「道こそなけれ」は「道がない」と嘆く意味だが、その場合の道は手段や方法を表す。
一般に「辛さや悲しみを逃れる道」と理解されているが、塚本邦雄は、
「道は手段方法それも「逃れる手段」 方法と解するより先に、理非曲直を見定め行う義と受け取るのも自然」
との解釈を提示している。
作者の心情と背景
俊成は、10歳の時に父俊忠を病気で亡くした。そのため他家に養子へ入るなどし、父の後ろ盾がないために、役人としても出世できなかったという背景がある。
俊成の歌全体にある特徴として、自らの人生の不遇を詠む歌が多いことが挙げられる。
藤原俊成の他の歌
世の中は憂きふししげし篠原しのはらや旅にしあれば妹夢に見ゆ(新古976)
世の中を思ひつらねてながむればむなしき空に消ゆる白雲(新古1846)
憂き身をば我だに厭ふいとへただそをだに同じ心と思はむ(新古1143)
憂き夢はなごりまでこそ悲しけれ此の世ののちもなほや歎かむ(千載1127)
藤原俊成について
藤原俊成(ふじわらのとしなり)
1114-1204 平安後期-鎌倉時代の公卿(くぎょう),歌人。〈しゅんぜい〉とも読む。「千載和歌集」の撰者。歌は勅撰集に四百余首入集。
小倉百人一首 83 「世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる」の作者。作歌の理想として〈幽玄〉の美を説いた他、『新古今和歌集』(1205)や中世和歌の表現形成に大きく寄与。
歌風は、不遇感をベースにした濃厚な主情性を本質とする。
藤原定家は子ども、寂連は甥、藤原俊成女は孫だが養子となった。他にも「新古今和歌集」の歌人を育てた。
百人一首の前後の歌
82.思ひわび さてもいのちは あるものを 憂きにたへぬは 涙なりけり (道因法師)
84.ながらへば またこのごろや しのばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき (藤原清輔朝臣)