山里は冬ぞ寂しさまさりける人目も草もかれぬと思へば
源宗于朝臣の百人一首28番にも採られた古今集の和歌の現代語訳と、掛詞の修辞法の解説を記します。
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山里は冬ぞ寂しさまさりける人目も草もかれぬと思へば
現代語での読み:
やまざとは ふゆぞさびしさ まさりける ひとめもくさも かれぬとおもえば
作者と出典
作者:源宗于朝臣 (みなもとのむねゆきあそん)
出典:小倉百人一首28 古今集 315
意味
現代語訳は
とりわけ冬に入って、山里は寂しさがつのってくる。人も来なくなり草も枯れてしまったのだなと思うと
・・
一首に使われていることばと文法と修辞法、句切れの解説です。
句切れと修辞法
- 3句切れ‥連用どめ
- 倒置
- 掛詞
- 係り結び
- 反復 「…も…も」
表現技法の解説
語句の意味と表現技法の文法解説です
「ぞ・・・けり」の係り結び
・冬ぞ…「ぞ」は強意の係助詞 「冬こそ」の意味
・ける…詠嘆の助動詞「けり」の連体形 係り結びの結び
「まさりける」品詞分解
・まさりける…「動詞 まさる+けり(詠嘆の助動詞)」
動詞「まさる」の意味は(次第に)多くなる
人目の意味
「人目」は人の出入り。人の往来。
「かれぬ」品詞分解
・かれぬ…「かれ」が掛詞の箇所
・「離る」(かる)+「ぬ」完了の助動詞
おもへば の品詞分解
・おもへば…動詞「思ふ」が基本形の已然形。
「ば」は順接確定状景、「思うと」と訳す。
掛詞がポイント
この歌の掛詞は「かれ」の部分です。
「かれぬ」品詞分解
・かれ…掛詞の箇所
「ぬ」は完了の助動詞
- 基本形「離る」(読み:かる) の動詞
- 基本形「枯る」(読み:かる) の動詞
表記 | 漢字 | 主語 | 意味 |
かれぬ | 枯れぬ | 草 | 草が枯れる |
かれぬ | 離れぬ | 人目 | 人が離れる |
山里は冬ぞ寂しさまさりける 人目も草もかれぬと思へば 解釈
源宗于朝臣の古今集315番の歌で、百人一首28番にも選ばれている。
詞書
「冬の歌とてよめる」の詞書がある。
歌の情景
草木が枯れて人気が途絶えた山里の冬の寂しさが歌の主題。
「冬ぞ」の「ぞ」で季節に焦点を当て、さらに「まさりける」として寂しさの増強を強調。
そのあとに「寂しさ」の生じる理由を述べるが、一首のポイントは、人の往来が絶えるのが、山里の冬の寂しさであるというところだろう。
雪という言葉はないが、山里であれば寒さとあるいは雪の交通の不便もあって冬は人との交流が少なくなる。
それもまた、季節の寂しさとして述べているところに歌の特徴がある。
掛詞の箇所は「かれ」
この歌の掛詞は、「かれ」の部分です。
人が離れるの意味の「離れ」。読みは「かれ」
もう一つが字義通りの意味の「枯れ」です。
※掛詞の箇所
・「人目」→「離れ」(かれ)
・「草」→「枯れ」(かれ)
「人目が少なくなる」という「人目」は人の行き来のことを指す。
したがって、「人の訪問がなくなって、人間関係が疎遠になる」という意味。
「人目も草も」と異なるものを並べて、「かれぬ」と一語でくくったところにおもしろさがあるといえる。
作者の心情
作者は天皇の孫だが、天皇にはならず臣下、つまり天皇の家来の身となったが、出世をしなかったため、わびしく寂しい心を持ちを抱えることとなった。
その気持ちをそのまま真っすぐに表現するのではなく、冬の山里の寂しさ」になぞらえているとも考えられる。
作者には他に、「沖つ風ふけゐの浦に立つ浪の名残にさへや我はしづまむ」などもある。
意味は「波が引いたその名残の浅い水にさえ、私は沈んでしまうだろう」、そのような心細い心持である。
この歌は宇多天皇に送られた。おそらくは「何とか沈まないように」取り立ててほしいという意味だったのだろうが、天皇は意味を介さず、昇進はかなわなかったようだ。
天皇の孫であるのに、家臣として低い身分でいるということが作者の嘆きであり不満であったことだろう。
歌の感想
私自身の歌の感想を記します。
作者は天皇の孫なのに、天皇にならずに別な人が天皇となり、自分はその家来にされてしまいました。作者がどこに住んでいたのかはわかりませんが、天皇ではないので大きな御殿に住んでいたのではなく、今でいう郊外の一軒家であったのかもしれません。
華やかな場所ではないため、人もそうそう来てはくれない。そのような心持を表現するには、冬の風景がふさわしい。よって、冬の人里の寂しさを歌の主題として思いついたのでしょう。
「山里の冬の寂しさはことさら寂しいものだ」といったん言い切ってから、「人目も草も」と続けて「かれぬ」の音の共通する言葉で、両方をつないでいる工夫がうまくいっていて、とてもおもしろい歌です。
山里の冬に沈む人の暮しと田園の様子が一体となって表現されています。
作者の源宗于朝臣について
源宗于朝臣 生年不詳 939年没とされる
光孝天皇の孫で、源氏の姓を賜って降下したため身の不遇を詠った歌が見られる。
三十六歌仙の一人。古今集以下の勅撰集に15首が収録されている。
源宗于朝臣師の他の和歌
沖つ風ふけゐの浦に立つ浪の名残にさへや我はしづまむ(大和物語)
人恋ふる心は空になきものをいづくよりふる時雨なるらむ(続千載1540)
つれもなくなりゆく人の事のはそ秋よりさきのもみちなりける (古今788 )
梓弓いるさの山は秋きりのあたることにや色まさるらむ (後撰集379 )
あつまちのさやの中山中中にあひ見てのちそわひしかりける (後撰集507)