牛飼が歌よむ時に世の中の新しき歌大いにおこる 伊藤左千夫の代表的な短歌「牛飼い」の歌の現代語訳と伊藤左千夫の職業、牛乳搾乳業の解説と共にご紹介します。
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牛飼が歌よむ時に世の中の新しき歌大いにおこる
読み:うしかいが うたよむときに よのなかの あらたしきうた おおいにおこる
作者:
伊藤左千夫
一首の意味と現代語訳
牛飼いをつとめる私が短歌を読むときに、世の中の新しい歌が大きなうねりとなって広がっていくことだ
解説と鑑賞
伊藤左千夫作短歌の有名な一首。
万葉集に、万葉調を学んだ、伊藤左千夫らしい、おおらかな詠みぶりで、これから歌を詠んでいくぞ、という意気込みを表したものです。
この時、伊藤左千夫は30歳で、「牛飼い」というのは、自らの職業の「牛乳搾乳業」をあらわしたものです。
なお、「新しき歌」の「新しき」とは、古語で「あらたしき」と読みます。
「牛乳搾乳業」とは
「牛乳搾乳業」というのは、当時流行した新しい職業のひとつで、明治期の東京で、乳牛を飼育、搾乳、加工、販売を一手に行う仕事の名称です。
当時は冷蔵技術がなかったので、都心に牛乳を配給するには、東京都内に牧場を作り、配達員が配達をするという仕組みでした。
経営者は、いわゆる明治政府が始まったための「士族の商法」も多く、、渋沢栄一も出資した牧場もあったそうです。
文学関係では、芥川龍之介の実父も牛乳屋の仕事をしていたことも知られており、当時は珍しかった牛乳ですが、芥川はそれを飲んで育ったと伝わっています。
新事業を開いた伊藤左千夫
牛乳業は、それまでにはない商売、いわゆる、ベンチャービジネスで、実業家を目指していた伊藤左千夫は、千葉県から上京すると、東京都本所区茅場町に土地を買い、牛の飼育を始めました。
伊藤左千夫が牧場を開いた土地は、たびたび水害に見舞われ、その短歌も詠まれています。
四方(よも)の河溢(あふ)れ開けばもろもろのさけびは立ちぬ闇の夜の中に【日めくり短歌】
農村出身とは言え、左千夫にとっても新しい経験で、既存の牧場7か所に努めて修行、資金をためて後、2年後にやっと自分の牧場を持てるようになったのです。
また、左千夫自身もたいへんな働き者で、1日14時間も働いたという話も伝わっています。
牧場は軌道に乗り、雇人も雇い、書生として迎えた土屋文明も、最初、牛の世話をしたこともあります。
新しい短歌への意気込み
この歌は、開業から10年近くが経った時、生活にゆとりができた左千夫が、正岡子規に師事し、短歌をこれから始めようとするときに読んだものです。
正岡子規は「短歌革新」を行った人物で、それまでの短歌にはない、新しい短歌を模索しており、左千夫もそこに加わったのです。
歌の内容は、あくまで歌への意気込みを表したものですが、左千夫にとっては「牛飼い」そのものも、短歌以上に新しい事業への挑戦であったのも間違いありません。
このようなエネルギッシュな左千夫は、その後、代表作「野菊の墓」の小説の執筆へも手を広げ、土屋文明などの後進も指導しながら、歌人としても名を残したのです。
伊藤左千夫の他の短歌
人の住む国辺を出でて白波が大地両分け(ふたわけ)しはてに来にけり
天雲の覆へる下の陸(くが)広ろら海広らなる崖に立つ吾れは
春の海の西日にきらふ遥かにし虎見が崎は雲となびけり
おりたちて今朝の寒さを驚きぬ露しとしとと柿の落葉深く
鶏頭のやや立ち乱れ今朝の露のつめたきまでに園さびにけり
今朝のあさの露ひやびやと秋草やすべて幽(かそ)けき寂滅(ほろび)の光
四方(よも)の河溢(あふ)れ開けばもろもろのさけびは立ちぬ闇の夜の中に
池水は濁りににごり藤なみの影もうつらず雨ふりしきる