音に聞く高師の浜のあだ波はかけじや袖のぬれもこそすれ 作者祐子内親王家紀伊の百人一首72番の和歌作品の現代語訳と、解説・鑑賞を記します。
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音に聞く高師の浜のあだ波はかけじや袖のぬれもこそすれの解説
読み:おとにきく たかしのはまの あだなみは かけじやそでの ぬれもこそすれ
作者
祐子内親王家紀伊((ゆうしないしんのうけのきい)
出典
百人一首 72
現代語訳
有名な高師の浜へ打ち寄せる波には気をつけましょう。浮気者のあなたのために涙で袖が濡れては大変なので
語句
- 音に聞く・・・慣用句 「音に聞く○○(体言)の形で「鳴り響くうわさ・評判で多くの人に知れ渡っている」の意味
- 高師の浜・・・地名。大阪府南部の堺市浜寺から高石市にあたる海辺のことだが、「高い」の掛詞となっている
- あだ波・・・ たいした風もないのに立つ波。変わりやすい人の心、軽々しい行為などをたとえていう語。「あだ」は「無駄」うわついたさまの意味
- 「浜」は、「波」「ぬれ」の縁語
かけじやの品詞分解
かけじや
- 「かける」・・・「波をかける」と「思いをかける」の掛詞
- 「じ」は打消意志の助動詞。「しない」の意味
- 「や」は詠嘆の間投助詞
ぬれもこそすれの意味
・「こそ・・・すれ」は係り結び
・「も」「こそ」は係助詞で、二つ合わせて漠然とした不安を表す
・濡れるの意味は、波に袖が濡れることと「恋愛の苦しみで涙を流して袖が濡れる」言の両方を指す
句切れと修辞法
- 句切れなし
- 掛詞
- 係り結び
- 縁語
※解説は
和歌の修辞法をわかりやすく解説
一首の鑑賞
百人一首72番にとられた女流歌人の紀伊の歌で、元は歌合で男性の歌の返歌として詠まれたものです。
技巧が駆使され、返歌としての機知も含めて優れた歌となっています。
歌合(うたあわせ)とは
どちらの歌も詠まれたのは1102年に開催された「堀河院艶書合 ほりかわいんえんじょあわせ」という歌合(うたあわせ)。
歌合というのは、歌人を左右二組に分け、その詠んだ歌を一番ごとに比べて優劣を争うという目的の歌の会で、このときの艶書歌合は、男女に分かれて恋歌の優劣を競うという趣向でした。
男女一対の和歌
最初に藤原俊忠が
人知れぬ思ひありその浦風に波のよるこそ言はまほしけれ
と詠み、それに女性の歌人である紀伊が
音に聞く高師の浜のあだ波はかけじや袖のぬれもこそすれ
と返した、一対の歌として提出されたのです。
この後者の紀伊の和歌が優れた歌として百人一首の72番として選ばれたので、俊忠の和歌もよく知られている歌となっているのです。
歌の内容
歌の内容は男性が
人知れぬ思ひありその浦風に波のよるこそ言はまほしけれ
訳:心に秘めてあなたを思っていますが、浦を吹く風に波が寄るようにあなたの元へ夜に行って思いを打ち明けたいのです
という逢瀬を求めるものであるのに対して、拒絶を述べたのが紀伊の歌です。
男性にとっては本意ではないものの、機知に富み、工夫を凝らした歌は才気にあふれています。
拒否の理由
拒否の理由は初句から明らかで「音に聞く」は、「他でも同じ話を聞いていますよ」というもので、自分にだけかけられた誘いではないということを承知しているという意味です。
男性はまずこれで頭をかくところです。
続く「高師の浜の」は「音に聞く」その音が高い、ということで、男性が次々女性と浮名を流す浮気者であることが強調されます。
「あだ波」の「あだ」はいわば悪口で、「そんな人と無駄なことはしませんよ」という意図がこの言葉からもみてとれます。
「袖のぬれもこそすれ」は、拒否の理由をつけ足す部分として、浮気者の心変わりのために「涙で袖を濡らすのは嫌なので」としています。
一首の構成
一首の構成は、上句でまずはっきりと拒否の意思を示しています。
4句目の途中なので句切れではありませんが、「かけじや」の終止形の部分は切れ目となります。
ここで意思の表明は終わりで、さらに拒否の理由として下句のつけたしがあります。
上句だけで終わってしまえば拒否だけとなりますが、下句の部分があることで女性らしい気持ちも表され、歌としても整ったものとなっています。
「袖のぬれもこそすれ」は上の部分の続きではあるのですが、むしろ「私のことだけを思ってくださって、泣かせるようなことをしなければ付き合ってあげてもいい」という含みもあり、誘いに即答するようなことはしない女性の特有の媚態も感じられます。
むしろ拒絶を示す上句よりも、切れ目のある「かけじや」以下の下句の部分にポイントがあると言えます。
あくまで歌合わせの場の仮構のシチュエーションでの作品ではありますが、優れた歌として百人一首に選ばれたのは、掛詞や縁語共にこのような構成の工夫も感じられるためでしょう。
作者祐子内親王家紀伊について
祐子内親王家紀伊(ゆうしないしんのうけ の きい)は、、生没不詳。女房三十六歌仙の一人
平安時代院政期の日本の女流歌人で、祐子内親王に仕えた小弁(こべん)、従者ということから、上のような名前となっています。