人知れぬ思ひありその浦風に波のよるこそ言はまほしけれ 藤原俊忠
この和歌は百人一首の祐子内親王家紀伊の返歌「音に聞く高師の浜のあだ波はかけじや袖のぬれもこそすれ」の元となる歌として知られています。
この和歌は12月24日の朝日新聞の「星の林に」でピーター・マクミラン氏が取り上げて解説しました。
人知れぬ思ひありその浦風に波のよるこそ言はまほしけれの解説
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読み:ひとしれぬ おもいありその うらかぜに なみのよるこそ いわまほしけれ
現代語訳と意味
人知れぬ恋の思いが私の胸にある。有磯の浦風に波が寄るその夜にこそあなたに思いを告げたいよ
作者と出典
藤原俊忠 ふじわらのとしただ
出典:「金葉集」
藤原俊忠は藤原俊成の父、藤原定家の祖父に当たる歌人です。
句切れと修辞
- 2句切れ
- 係り結び
- 掛詞
- 縁語
歌の語句と文法
- 思ひあり・・・「あり」は終止形
- その・・・連体詞
- 波のよるこそ言はまほしけれ・・・「こそ・・・けれ」は係り結び
- 言はまほし・・・「まほし」は願望を表わし、「したい」の意味
和歌の解説
この和歌は百人一首72番の祐子内親王家紀伊の和歌「音に聞く高師の浜のあだ波はかけじや袖のぬれもこそすれ」が返歌で、その最初の歌として提示された恋愛の歌として知られています。
歌合(うたあわせ)とは
どちらの歌も詠まれたのは、「堀河院艶書合 ほりかわいんえんじょあわせ」という歌合(うたあわせ)の場です。
歌合というのは、歌人を左右二組に分け、その詠んだ歌を一番ごとに比べて優劣を争うという目的の歌の会で、このときの艶書歌合は、男女に分かれて恋歌の優劣を競うという趣向でした。
この歌合は1102年に開催されました。
男女一対の和歌
そこで、藤原俊忠が
人知れぬ思ひありその浦風に波のよるこそ言はまほしけれ
と詠み、それに女性の歌人である紀伊が
音に聞く高師の浜のあだ波はかけじや袖のぬれもこそすれ
と返した、一対の歌として提出されたのです。
この後者の紀伊の和歌が優れた歌として百人一首の72番として選ばれたので、俊忠の和歌もよく知られている歌となっているのです。
解説記事:
音に聞く高師の浜のあだ波はかけじや袖のぬれもこそすれ 百人一首72番
一首の目的
一首の意味は、比喩の裏に隠れていますが、「夜にあなたのところに行って一緒に寝たい」という求愛が目的です。
詳しく見ていきましょう。
一首の意味
「人知れぬ思ひあり」というのは、女性への思慕の情のことで、「人には知られていないがあなたをお慕いしています」というものです。
「その浦風に波のよる」の「よる」は「寄る」と「夜」の掛詞です。
「浦」と「波」は縁語で、あとは係り結びが用いられており、和歌の技巧が駆使されています。
「その」は、他の歌にもみられるので意味を強めるのと、歌の調子を整えるのと両方の目的があるでしょう。
比喩の部分
「浦風に浪のよる」は、波のようにあなたの元へ夜にしのんでいきたい」というのが一つ。
または、恋愛の情に波立つ気持ちをも表しているでしょう。
結句は「言はまほしけれ」つまり、「秘めた想いを打ち明けたい」と上品にまとめていますが、直截な求愛の歌であるのには違いありません。
作者はこのとき70歳くらいだったと伝わっているため、あくまで歌合のためのフィクションとして詠まれています。
紀伊の返歌の意味
これに対して、「音に聞く高師の浜のあだ波はかけじや袖の濡れもこそすれ」は
「有名な高師の浜へ打ち寄せる波には気をつけましょう。浮気者のあなたのために涙で袖が濡れては大変なので」
として拒否の意を伝えるものとなっており、見事な返し歌として百人一首に採られています。
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藤原俊忠について
藤原 俊忠は、平安時代後期の公卿、歌人。
藤原俊成は子ども、孫が藤原定家に当たる
堀河朝において歌人として活躍、家集として『俊忠集』を残している。『金葉和歌集』他、勅撰和歌集に29首が入集。