『源氏物語』には全部で795首の和歌が含まれています。
その中からこれだけは読んでおきたい代表的な和歌と、特に古文の教材に取り上げられる上位10首を、現代語訳と和歌の背景を交えて記します。
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『源氏物語』の和歌について
『源氏物語』の代表作和歌
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『源氏物語』の代表作和歌としては下の10首があげられます。
一首ずつ解説を記していきます。
もの思ふに立ち舞ふべくもあらぬ身の袖うちふりし心知りきや(光源氏)
現代語での読み:ものおもうに たちまうべくも あらぬみの そでうちふりし こころしりきや
作者と出典
作者:光源氏
『源氏物語』「紅葉賀」(もみじのが)
現代語訳
あなたを思うもの思いのゆえに、立って舞うこともできそうにない私が、袖振って舞った気持ちを察してくださいましたか
解説
この歌は、光源氏がひそかに思いを寄せていた藤壺に贈ったものです。
この歌を詠む前日は、朱雀院の御紅葉の賀のリハーサルのため、光源氏が舞の演目、青海波(せいがいは)を舞ったのでした。
紅葉の散る中で、道ならぬ恋のために心を波立たせながら、男舞を舞いながら藤壺に届けとばかり袖を振る主人公。
絵画的で最も美しいシーンです。
詳しい解説記事:
もの思ふに立ち舞ふべくもあらぬ身の袖うちふりし心知りきや『源氏物語』
空蝉の羽に置く露の木隠れて忍び忍びに濡るる袖かな(空蝉)
現代語での読み:うつせみの はにおくつゆの こがくれて しのびしのびに ぬるるそであな
作者と出典
『源氏物語』空蝉巻
現代語訳
蝉の羽のように薄い衣を残して姿を隠したが、葉に置く露が来影に隠れるようにあの人から隠れて涙にぬれるわがそでであることよ
解説
空蝉は光源氏をめぐる女性の一人。
光源氏は空蝉の寝室に忍び込みますが、それに気が付いた空蝉は衣だけを残して消えてしまいます。
隠れたのは空蝉の意思ですが、実は光源氏に魅力を感じており、それが「涙にぬれる袖」の述懐となっているのです。
本歌
この歌は女流歌人の伊勢の歌と同一であるため、伊勢の歌をそのまま引用した「引歌(ひきうた)」とされています。
伊勢の代表作は:
難波潟短かき蘆の節の間も逢はでこの世を過ぐしてよとや 伊勢
思ふらむ 心のほどややよいかに まだ見ぬ人の 聞きかなやまむ(明石)
現代語での読み:おもうらん こころのほどややよいかに まだみぬひとの ききかなやまん
作者と出典
作者:明石(あかし)
『源氏物語』明石巻
現代語訳
私のことを思ってくださるあなたの心はどの程度の物なのでしょうか。逢ってもいないのに噂だけでこうも悩まれるとは
解説
明石君(あかしのきみ)は光源氏をめぐる女性の一人。
光源氏は空蝉の寝室に忍び込みますが、それに気が付いた空蝉は衣だけを残して消えてしまいます。
光源氏は最初の手紙を送り、返歌がまず返されますが、しかしそれは、明石君の父明石の入道が娘に代わって書いた代作でした。
傷ついた光源氏は次の歌を贈り、さらにそれに対する明石の返歌が上の歌です。
この歌は、明石の賢さをうかがわせる返歌の技法である、元の歌の言葉の繰り返しとそれへの切り返しを含む巧みな返歌とされています。
その歌のやり取りによって、源氏は明石君への思いを深めていくのです。
初雁は恋しき人のつらなれや 旅の空飛ぶ声の悲しき(光源氏)
現代語での読み:はつかりは こおしきひとの つらなれや たびのそらとぶ こえのかなしき
作者と出典
『源氏物語』須磨巻(すまのまき)
作者:光源氏
現代語訳
この須磨の地で今年初めて見るあの雁は恋しい人の仲間ででもあるのだろうか。旅の空を飛ぶ雁の声がなんとももの悲い
解説
8月15日の中秋の名月の折、戦いで須磨への退去を余儀なくされた源氏は須磨の海を見て雁の列に目を止めて上のように詠みます。
これには、他の従者が同じ主題で次々に歌を詠んでいます。これを唱和歌といいます。
唱和歌については
『源氏物語』の和歌について
常世いでて旅の空なるかりがねも 列におくれぬほどぞなぐさむ()
現代語での読み:つねよいでて たびのそらなる かりがねも れつにおくれぬ ほどぞなぐさむ
作者と出典
作者:前右近将監
『源氏物語』須磨巻
現代語訳
常世を出て旅の空にいる雁も、仲間に外れないでいるあいだは心も慰みましょう
解説
光源氏が雁の鳴き声に望郷の思いを歌にした歌の歌に続く作者前右近将監の唱和歌。
都から遠く離れていても、光源氏や仲間と一緒なら寂しくはないという意味で、源氏を慰めている。
他の歌は
かきつらね昔のことぞ思ほゆる雁はその世の友ならねども 良清
心から常世を捨てて鳴く雁を雲のよそにも思ひけるかな 惟光(これみつ)
「常世」とは、ここでは一行が離れざるを得なかった都のことを指す。
いずれの歌も最初の源氏の歌を受けて「雁」「つら」「旅の空」の語をそれぞれに織り込みながら、単なる繰り返しにとどまらず互いの思いを詠んでいる。
面影は身をもはなれず山桜 心のかぎりとめて来しかど(光源氏)
現代語での読み:
作者と出典
作者:光源氏
『源氏物語』若紫巻(わかむらさきのまき)
現代語訳
山桜の美しい面影が私の身を離れません。私の心のありたけをそちらに置きとどめてきたのでしたが
解説
山桜が盛りの頃、病気治療のために北山へ出かけた源氏は、のぞき見をして一人の少女を見初めます。
それがまだ幼い頃の紫の上で、紫は藤壺の宮の姪に当たり、藤壺の宮に生き写しでした。
源氏は少女を手元に引き取って育てたいと願い出ますが、相手にされず、諦められなかった源氏は少女を育てている祖母の尼君に手紙を出したのが上の和歌です。
置くと見るほどぞはかなきともすれば風にみだるる萩のうは露(紫上)
現代語での読み:おくとみる ほどぞはかなき ともすれば かぜにみだるる はぎのうわつゆ
作者と出典
作者:紫上(むらさきのうえ)
『源氏物語』御法巻(みのりのまき)
現代語訳
もう私は萩の上におく露のように風に乱れてはかなく散っていきます
解説
紫の上が亡くなってしまう臨終の場面で詠んだ歌で、唱和歌の最初の歌です。
ややもせば消えを争ふ露の世に おくれ先だつほど経ずもがな(光源氏)
現代語での読み:ややもせば きえをあらそう つゆのよに おくれさきだつ ほどえずも
作者と出典
作者:光源氏
『源氏物語』御法巻(みのりのまき)
現代語訳
ともすればどちらが先に死ぬかを競う無常な世であるが、遅れるか先かとあらそわずすむようにあってほしい
解説
紫の上の臨終の歌に続く唱和歌です。
歌の末尾の「もがな」は「であったらいいのに」の願望を表し、光源氏の歌は、「後れ先立つ」だけの短い時間もいらないとして、同時に自分も死ぬことを願うのです。
もう一首は明石中宮の
秋風にしばし止まらぬ露の世を誰か草葉の上とのみ見む 明石中宮
こちらは、はかないことも世の常として紫の上を慰める内容の歌です。
おぼつかな誰に問はましいかにしてはじめもはても知らぬ我が身ぞ(薫)
現代語での読み:おぼつかな たれにとわまし いかにして はじめもはても しらぬわがみぞ
作者と出典
作者: 薫
『源氏物語』匂兵部卿巻(におうひょうぶきょうのまき)
現代語訳
きがかりなことだ。だれにきいたらよいのだろう、自分がどのように生まれどうなっていくのかわが身ながらわからないことよ
解説
この前の巻「幻巻」から8年の空白を経て、源氏の子どもである薫の和歌。
薫は14歳で元服を迎え、自らの出生に疑問を持つ場面の歌。
源氏の正妻で母女三宮の不義の子だが、父は光源氏として育てられるという数奇な運命の持ち主。
いかでかく巣立ちけるぞと思ふにも 憂き水鳥の契りをぞ知る(大君)
現代語での読み:いかでかく すだちけるぞと おもうにも うきみずどりの ちぎりをぞしる
作者と出典
大君(おおいぎみ)
『源氏物語』橋姫巻(はしひめのまき)
現代語訳
どうしてここまで大人になれたかと思うに潰え、水煮株あの鳥のようにかなしいわが身の不運が思い知らされる
解説
大君は源氏の弟八宮(はちのみや)娘で、母の来たの方は亡くなっており父の手で育つ。
この歌は、娘たちに琴を教えていた八宮が、母のいない子を思いやって寂しい気持ちとなり詠んだ歌の返歌。
法の師とたづぬる道をしるべにて思はぬ山に踏み惑ふかな(薫)
現代語での読み:のりのしと たずぬるみちを しるべにて おもわぬやまに ふみまどうかな
作者と出典
作者:薫
『源氏物語』夢浮橋巻
現代語訳
仏法の師としてあなた様をお訪ねしてきましたが、思いも寄らぬ恋の山道に踏み迷ってしまった
解説
『源氏物語』の最後の歌で、夢浮橋巻の唯一の歌。
僧都を訪ねた薫が浮舟の出家の話を聞き、この歌を浮舟の弟に託して贈る。
この歌は贈歌だが、返歌は『源氏物語』には記されておらず、『源氏物語』の終わりを暗示する。
『源氏物語』の有名な代表作和歌のまとめ
上記の和歌の現代語訳の一部は下の本を参照しました。
初めてでも読みやすい『源氏物語』の本。