鳴き弱る籬の虫もとめがたき秋の別れや悲しかるらむ
源氏物語の作者である、女流歌人紫式部の友人との別れの悲しみを詠った和歌の現代語訳と解説を記します。
スポンサーリンク
鳴き弱る籬の虫もとめがたき秋の別れや悲しかるらむの和歌解説
読み:なきよわる まがきのむしも とめがたき あきのわかれや かなしかるらん
作者
作者:紫式部 むささきしきぶ (978〜1014)
出典
千載集 離別歌 478
紫式部集
現代語訳:
次第に弱々しくなっていく籬の虫の声も、とどめがたい秋の別れが悲しいのでしょうか
句切れ
4句切れ
語の意味
- 鳴きよわる・・・「鳴く」「弱る」の複合動詞
- 籬・・・読みは「まがき」。垣根
- とめがたき・・・「止む」+「難し」(形容詞)の連体形
「悲しかるらむ」の品詞分解
- 「悲しかり」が基本形の形容詞の連用形
- 「らむ」・・・推量の助動詞
和歌の背景
源氏物語を記した紫式部の代表作和歌の一つ。
再会した幼友だちの別れの寂しさを表そうと詠まれたものです。
この歌の前に百人一首にとられた有名な歌があり、同一の主題を詠っています。
最初の和歌
この前の歌は
めぐりあひて見しやそれとも分かぬまに雲がくれにし夜半の月かな
で、久しぶりにめぐり会ったのにすぐに帰ってしまって、まるで雲に隠れてしまった夜中の月のようだ」と友達との別れが束の間でありそれを惜しむ気持ちを表している。
続くこの歌はさらにその悲しみを「悲しかるらむ」の結句で率直に表しています。
和歌の詞書
詞書は
その人遠き所へ行くなりけり、秋のはつる日来たる暁、虫の声あはれなり
意味は
その人は遠いところへ行くことになった。秋の終わる日がやってきた暁、虫の声が心に沁みる
というもので、秋の終わりと友との別れを重ねています。
贈答歌と返歌
この友人が誰であったのかはわかりませんが、女性であり、おそらく、父か夫などの遠地への赴任のために都を離れ、九州に行ったとみられています。
というのは、その友人の詠んだ「西の海を思ひやりつつ月みればただに泣かるるころにもあるかな」の歌に、「筑紫へ行く人のむすめの」とあることから、九州の大宰府ではないかと推測ができるためです。
紫式部の返歌
これに対して紫式部は
西へゆく月のたよりに玉づさの書き絶えめやは雲の通い路
と返歌しています
意味は、
西に傾いていく月を頼りにお便りの書き止むことがあろうか。雲の通い路のようにあなたの元へ
一首の構成
一首の主語と述語は「籬の虫も・・・悲しかるらむ」。
弱々しい虫の声が悲しみを伝えているという意味です。
「とめがたき秋の別れや」はその間に挟まれた句で、一首の主題の別れの内容であり、作者の詠嘆です。
「や」は句切れで、ここに小さな間があり、詠嘆の思いが込められています。
「とめがたき」は友人の別れと共に、「秋の終わる日が」と詞書に記されている通り秋の終わりという時間の流れをも表しています。
さらに、虫の「鳴き弱る」も秋の時間の深まりと終わりを表しています。
作者自身はこれらを描写、叙述する形で前面には出ていませんが、「鳴き弱る虫」と「とめがたき秋」のあたかもその両方が、作者の悲しみに唱和するかのように、結句「悲しかるらむ」に結集します。
作者紫式部について
紫式部は、本名は藤原香子(ふじわらの かおるこ/たかこ/こうし)とされています。
藤原為時(ふじわらのためとき)の娘で、藤原道長の要請で宮中に上がり、一条天皇の中宮彰子に女房、つまり女官として仕えました。
身分の高い女性である上、大変な才女で、代表作である『源氏物語』の他にも『紫式部日記』、百人一首に採られた他に和歌が多く詠まれており、歌人としても活躍。
中古三十六歌仙および女房三十六歌仙の一人にも選ばれています。