九十九里の波の遠鳴り日のひかり青葉の村を一人来にけり 伊藤左千夫の故郷の海である千葉県九十九里浜を詠んだ短歌の一首、他に代表作連作の「九十九里詠」の現代語訳と解説・鑑賞を記します。
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九十九里の波の遠鳴り日のひかり青葉の村を一人来にけり
読み:くじゅうくりの なみのとおなり ひのひかり あおばのむらを ひとりきにけり
作者
伊藤左千夫 「伊藤左千夫歌集」
一首の意味と現代語訳
九十九里の浜の波の遠鳴りが聞こえ、日の光が揺れる青葉の季節の村に一人で帰ってきたのだよ
表現技法
- 3句切れ
- 「波の遠鳴り日のひかり」の反復(リフレイン)がある。
- 「けり」は詠嘆。「…だなあ」
- 「り」のの音の連続
- 字余り
解説
大正2年作「椎の若葉」一連のなかの一首。
歌の表現技法の調べ
九十九里の 波の遠鳴り 日のひかり 青葉の村を一人 来にけり
赤字で示したところに「り」の音が繰り返し使われている。
あたかも波の寄せる様子を表しているかのようだ。
上句から反復ののちの3句切れとなっているため、「九十九里の」は字余り6文字となっている。
歌の背景
本歌は、亡くなる数日前に伊藤左千夫が故郷を訪ねた時に詠んだ歌とされている。
「青葉の村」は左千夫の生家があったところで、千葉県の今の山武市、元の成東といわれる地域を指す。
この土地は左千夫の代表作『野菊の墓』の舞台になったところである。
伊藤左千夫が生まれた時から九十九里浜は生活の中の風景であり、明治29年以来繰り返し九十九里浜を詠んでおり、この歌は、最後の九十九里詠となる。
「波の遠鳴り」は九十九里浜を聴覚でとらえた部分であり、「日の光」は視覚でとらえた部分である。
季節は春なので、椎の木に若葉が茂っている。その青葉の中の道を通って生家へ歩んだところであろう。
「一人」に込められた作者の思い
「一人」は作者の寂しさが漂う。当時アララギでは、伊藤左千夫は弟子と決裂しており、さびしい日々を送っていた。
また、郷里においても、父母は既に亡くなっており、家の描写には
「老いさらばひた姉、ぼうんとした兄、暗寂たる家の様子」―出典:『紅黄録』
という描写がみられる。その続きには
「白波は永久に白波であれど、人世(ママ)は永久に悲しい事が多い」
と記された。
一連の他の短歌
この一連の他の歌も美しい。
椎森(しいもり)の若葉円(まど)かに日に匂ひゆききの人らみな楽しかり
稍遠(ややとほ)く椎の若葉の森見れば幸運(さち)とこしへにそこにあるらし
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伊藤左千夫の代表作「九十九里詠」
九十九里詠は伊藤左千夫の代表作で「九十九里絶唱」とも呼ばれる下の七首がある。
人の住む国辺を出でて白波が大地両分け(ふたわけ)しはてに来にけり
天雲の覆へる下の陸(くが)広ろら海広らなる崖に立つ吾れは
天地の四方(よも)の寄合を垣にせる九十九里の浜に玉拾ひ居り
白波やいや遠白に天雲に末辺こもれり日もかすみつつ
高山も低山もなき地の果ては見える目の前に天し垂れたり
春の海の西日にきらふ遥かにし虎見が崎は雲となびけり
砂原と空と寄合う九十九里の磯ゆく人等蟻の如しも
最初の九十九里の短歌連作
この歌の詠まれる前にも「磯の月草」と題する連作がある。
九十九里の磯のたひらはあめ地(つち)の四方(よも)の寄合(よりあひ)に雲たむろせり
ひさかたの天の八隅(やすみ)に雲しづみ我が居る磯に舟かへり来る
ひんがしの沖つ薄雲入日うけ下辺の朱(あけ)に海くれかへる
それと比較すると、より砂浜の壮大感がまさっている。
習作を繰り返して、九十九里詠は徐々に完成されていったことがわかる。
いずれの歌も万葉調で壮大な景色を歌う傾向がみてとれる。
伊藤左千夫の小説の九十九里浜の描写
前年、明治41年の小説『紅黄録』より九十九里浜の描写が下のように散文で記されたものがある。
「朝の天気はまん円な天際(あまぎわ)の四方(よも)に白雲を静めて、洞(ほら)の如き蒼空はあたかも子ら四人を真ん中にしてこの磯辺をおおうて居る。単純な景色といはば、九十九里の浜くらい単純な景色はなからう。
山も見えず川も見えず勿論磯には石ころもない。只々大地を両断して、海と陸とに分ち、白波と漁船とが景色を彩なし、遠大な空が上をおおうてるばかりである。磯辺に立つて四方を見廻せば、いつでも自分は天地中心になるのである」
「九十九里詠」の評
これを短歌と併記した際に、散文よりもはるかに短歌の方が勝るとして、アララギ派の歌人小谷稔氏が記している。
「それにしても散文に比べて歌の格調と気韻の何と高く深いことか。『磯の月草』で信州の山と並ぶ雄渾の調をなし得た左千夫は技法的にはさらにそれを進めて、人の世の無常の外に壮大に荘厳に広がる九十九里詠を歌い上げた。」―出典:「アララギ歌人論」より
元になった景色は同じで、散文から受ける感興と歌から受けるものとでは明らかに違いがあるのがわかるだろう。
「九十九里詠」評2
歌の「調(しらべ)」に関連することについて、土屋文明が『新短歌入門』で九十九里詠をあげて書いている部分がある。
(子規の歌と比べて)全体を詠み終わった時の気合いが違う。歌のほうではこれを 歌の調子と言っている。
歌の調子というのは必ずしも音楽的の調子ばかりでなく、歌の内容上からの感情の緊張弛緩が重要な要素となっているので、はなはだ複雑な、理論的に補捉し難い概念たるを免れないが、この調子を呑み込むと言うことが歌を作る上にはぜひとも必要な重大事である。(中略)
この左千夫の作のごときは、高く偉大なる調子を有している歌として現代においては匹儔(ひっちゅう)を見ないところである。―出典:土屋文明『新短歌入門』
土屋文明は斎藤茂吉と共に伊藤左千夫に師事した歌人。
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