下ふさのたかし来れりこれの子は蜂屋大柿吾にくれし子  正岡子規の柿の短歌   

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下ふさのたかし来れりこれの子は蜂屋大柿吾にくれし子  正岡子規の柿の短歌 

2018年2月4日

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正岡子規には、柿を詠んだ有名な俳句、柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺が知られています。

正岡子規には、柿を詠んだ短歌もありますが、これは短歌の弟子であった長塚節を詠んで贈られたものです。

正岡子規の柿の短歌をご紹介します。

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下ふさのたかし来れりこれの子は蜂屋大柿吾にくれし子

読み:しもうさの たかしきたれり これのこは はちはおおがき あれにくれしこ

意味:

下総の長塚節が来て、まぎれもないこの子が蜂屋大柿私にくれた子なのだよ

解説

「たかし」は、茨城県の南西部に住んでいた、長塚節のこと。

「下総のたかしはよき子これの子は虫喰栗をあれにくれし子」という歌もあり、長塚節の生家は茨城の常総市の豪農で、子規を訪ねる度に土地で採れた食べ物を手土産に持参したらしいのです。

結核で自由に身動きならなかった子規は、おいしいものを食べることを生活の楽しみにしていたのですね。

長塚節が、常総から根岸に訪ねて行った次第は、『小説 白き瓶-長塚節』(藤沢周平著)にその場面が書いてありますが、子弟の交流は生涯続きました。

上京してからの生活の長い子規から見れば、年少の節は二十一歳にして「よき子」と言われるような、田舎育ちの朴訥な青年だったのではないかと思われます。

正岡子規は、実際柿好きだったと言われていますし、自分でもそう書いています。

しかし、これらの俳句や短歌は、単に柿が好きでうまいというだけではなく、柿を仲立ちに、人との関わりが詠まれているところが特徴です。

特に晩年の子規は病気のため身体が不自由でした。食べ物が楽しみであったのももちろんですが、人との交流も何より大切であったことがこれらの作品や他の文章からもうかがえるのです。

 

正岡子規の柿の俳句

 

正岡子規の下の俳句は、”短歌の代名詞”として、大変有名なものです。

柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺

この俳句については、下の記事で詳しく解説しています。

 

正岡子規の俳句
正岡子規の有名な俳句代表作10句 現代語訳付

 

正岡子規の柿の短歌

正岡子規の柿の短歌は、下のものがあります。

 籠にもりて柿おくりきぬ古里の高尾の楓色づきにけん

読み:こにもりて かきおくりきぬ ふるさとの たかおのかえで いろづきにけん

意味:

籠に持った柿を送ってもらった。ふるさとの高尾山の楓の木の葉も、もう紅葉で色づいたであろうなあ

解説

正岡子規は、四国の松山市生まれ。

句の中の高尾山は、香川県の西端付近にある山で、柿と共に故郷のこの山のことを指すのでしょう。




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