桜が当地でも咲き始めました。
今日は、岡野弘彦の桜の短歌を、主に第三歌集の『天の鶴群』からご紹介します。
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岡野弘彦の桜の短歌
すさまじくひと木の桜ふぶくゆえ身は冷え冷えとなりて立ちたり
歌集「滄浪歌」の巻頭、15首の中の9首目。
これだけではわからないが、戦争の体験を詠んだ歌です。
八年後に詠まれた戦争の体験
昭和20年4月13日の、巣鴨、大塚の地の城北大空襲。一晩で17万戸が焼け、二千五百人が犠牲になったと言います。
岡野弘彦は、國學院大學の予科から入隊したばかりで、現地で遺体や軍馬を片付けるという任務に当たりました。
直接に命の危険があるものではなかったものの、戦場と変わらず、ひじょうに凄惨な体験であったといいます。
たたかひの炎中(ほなか)の桜。まざまざと見えてすべなし。巣鴨・大塚
幹焦げし桜木の下 つぎつぎに 友のむくろをならべゆきたり 『美しく愛しき日本』
任務を終えて現地を離れると、本部のある学校の門で、桜が花吹雪となって舞っている。
岡野はその時「桜は恐ろしい花だ、俺は一生桜を美しいとは思うまい」と誓ったと言います。
最初の作品「すさまじくー」がが詠まれたのは、その体験から八年後。青春時代を否応なく戦争に巻き込まれた記憶が、歌人の原点の一つとなりました。
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『天の鶴群』の桜の歌 岡野弘彦
岡野弘彦の第三歌集の『天の鶴群』(あめのたづむら)には、他の系統の桜の歌が多く見られます。
桜の詠まれた歌は、かなり数がありますが、その中から、適宜抜粋しますと
上りこし乞食(ほかひ)のごとし身にまとふ襤褸(らんる)のうへに桜ちりくる
咲き満ちし花の木下にほれぼれとたたずむ我や春のまれびと
とめどなく心は濡れて思ひをり花咲く下に別れこしかば 「桜」
「桜を美しいものとは思うまい」と思った日から、作者のこころは、次第に解き放たれていったのでしょうか。
柔らかに花が詠まれています。
夕かげに散りつぐ桜ひと日だに花たもちゐよ病むもののため 「近江を憶ゆ」
家離(さか)り遠くゐる子も聞きてゐむ桜咲く夜の空ゆする風「朴の芽」
あくがれてわが魂も消ゆるかと思ふまで夜の桜ふぶけり
さまざまの人にあひ来て夜桜の咲き満つる庭に心なぎゐる
夜の桜咲ききはまれる下を息この平安の深きを怖る
散る桜さきいづる桜それぞれに色たつ山の斜面(なぞへ)に向ふ「夢のごとしも」
時の推移と共に、岡野の短歌に平安の象徴としての桜も現れてきます。
そして、この歌集の桜の代表作というべき一首。
ほれぼれと桜ふぶきの中をゆくさみしき修羅の一人となりて
「修羅」とは、戦争における葛藤かというと、そればかりではないかもしれません。
この歌が含まれる桜の一連は、たとえば、戦争のような外部の出来事と結びつくものというよりも、目の前の桜の描写と、そこに映し出される作者の心境です。
うつつなき時すぐるなり吹きあぐる桜ふぶきを浴びて立てれば
ほれぼれと桜ふぶきの中をゆくさみしき修羅の一人となりて
おととしもなき気配してほろほろとひと木の桜散りそむるなり
目とづれば額(ぬか)にちりくる白きもの雪よりもなおはかなかりけり
冷えびえとちりくる桜とめどなく身は震ひたつ桜の木下に
咲きみちて谷をうづむる花の中おもかげびとのなげき聞ゆる
桜に向かう作者の内面は、「さみしき修羅」であり、桜が人ではないゆえに孤独に映ります。
人を恋ふる思ひに耐へてむかひをり大海原の夕焼くる色
逢ひたしと思ふ心をおしひしぎ潰せし夜蛾のまだ死なずゐる
澄みとほるかなしみゆゑにうつし身は痩せ痩せてなほ人を恋ほしむ
この歌集のテーマの一つである、深い愛憎と情念は、きわめて特徴的なものであり、歌集の最初から最後まで通底しています。
それが作者が「さみしき修羅」と自身を呼ぶ所以かもしれません。
桜の記憶は、一つの記憶を離れて、また新たな花びらを散らすのです。
それをここまで書き留めた作者に、尊敬ではなく、文字通り畏敬の念を覚えずにはいられません。
『天の鶴群』は桜の季節にこそ味わってほしい歌集です。花のすばらしさとその記憶が色褪せないうちに、ぜひこれらの歌をお手に取ってご覧ください。
岡野弘彦の歌集は大変手に入れにくく、最新刊、岡野弘彦のこれまでの歌集から解説と鑑賞を加えた「岡野弘彦百首」をおすすめします。